原田 駅 から 博多 駅。 基山(基肄城跡)の登山口 お滝の行場に原田駅からアクセス方法

福岡空港から博多駅まで何分みていたら大丈夫でしょうか?

原田 駅 から 博多 駅

福岡県筑紫野市に原田(はるだ)という地区があります。 ここは昔、長崎街道の宿場町のひとつ「原田宿」でした。 また、筑豊地区の桂川(けいせん)駅から博多駅に至る経由地として昭和初期にも栄えていた町でもあります。 『 』P42で、原田駅の盛衰について解説されていたため、現在の原田駅がどのようになっているのか足を運んでみました。 前回の投稿でご紹介した「旧九州鉄道城山三連橋」から近い距離であったため、「旧九州鉄道城山三連橋」へいったのを機に、駅にもいってみたという感じです(参照:) 原田駅はJR九州 鹿児島本線のひとつの駅であり、筑豊本線の終着駅でもあります。 九州鉄道開通時に造られた駅(1889年)なので、九州でも最も古い駅でもあります。 もともとは九州鉄道のひとつの駅としての機能でしたが、筑豊本線が1929年に、原田駅まで伸びてきたことで、2つの線の駅として機能しはじめました。 駅前には大きなロータリーがあり、原田の町自体も新しい住宅が並び綺麗で、清潔感のある町です。 451518,130. 539444 しかし、この原田駅は昭和40年前半まで、さらに多くの人でにぎわっていたそうです。 建築中の駅舎が写真にのっています。 炭坑景気に沸く筑豊の人々が、博多や長崎方面へ出るには最も便利な乗換駅であり、ホームにはうどん屋や駅弁屋も並んで賑わいを見せていました。 駅弁売りも「ベントー、ベントー」と声をあげ構内を歩き回っていたそうです。 今から約30年前にも、まだ、福岡県北九州市の折尾駅でも駅弁売りのかたが、構内で駅弁を売り歩いていた記憶がかすかに残っています。 その全盛の頃の原田駅も、1968年(昭和43年)にJR九州 篠栗線が開通してから、利用者数が激減し、ホームにあったうどん屋や駅弁屋も姿を消しました。 この投稿のタイトルとして「栄えていた」という言葉を入れましたが、原田駅が現在も、利用者数が少ない駅であるわけではありません。 2018年年度の「駅別乗車人員上位300駅(JR九州)」を見てみると、1日あたりの平均乗車人数が3976人と、300位中51位の上位に入っています(参照:)。 平成初期から乗客数が徐々に増えていることに合わせて、駅周辺の開発が進んでいることや、久留米や博多へ原田駅が直結することを考えあわせると、これからも数年は利用客数が減少することはないのではないかと予想されます(参照:)。 regenerationderhydra.

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筑豊から博多へ至る経由駅として栄えていた原田駅 福岡県筑紫野市原田

原田 駅 から 博多 駅

概要 [ ] かつては輸送が盛んであり、などに通じる多くの貨物支線を有していたが、炭鉱の閉山によって現在はすべて廃止された。 現在は旅客列車のみが運行されている。 ・などの市町から北九州市・などへ通勤・通学利用が主体となっている。 に折尾駅 - 桂川駅間がとともに電化された。 それまでの時代には、ラッシュ時輸送に対応するために列車が設定されていた。 また、都市間輸送を強化するため高性能なも投入された。 長らく本線を名乗るJR線の中では路線距離が最も短い路線であったが、2016年12月5日に - 間が廃止されたため、それ以降は留萌本線が最短となった。 全線がの定める「」に含まれる。 本線を名乗るJR線で全区間が大都市近郊区間に含まれていた路線は国鉄時代から通してしばらくこの筑豊本線のみであったが、に(JR東日本) - 間が新たに大都市近郊区間に含まれるようになって同路線全区間が対象となったことにより、当路線が唯一のものではなくなっている。 「」が若松駅 - 桂川駅間で使用可能となっている。 一方、原田線はSUGOCA利用エリア外であり、桂川駅 - 原田駅間の途中駅では利用できない。 しかし、特例として福北ゆたか線の各駅から、原田駅以遠鹿児島本線方面のSUGOCA利用エリア駅相互間をSUGOCAを用いて乗車する場合、原田線を通過できる。 12月22日よりスマートフォンアプリ「JR九州アプリ」内の列車位置情報システム「どれどれ」が運用開始され、「福北ゆたか線・若松線」のページにおいて、リアルタイムの列車位置情報が配信開始された。 なお、原田線については未提供である。 2018年9月28日にが制定された。 筑豊本線は路線愛称の区間別に路線記号・ラインカラーが制定され、福北ゆたか線は JCの路線記号・黄色のラインカラー、若松線は JEの路線記号・青のラインカラー、原田線は JGの路線記号・緑のラインカラーが制定された。 路線データ [ ]• 管轄(事業種別):九州旅客鉄道()• 路線距離():若松駅 - 原田駅間 66. 1km• :1067mm• 駅数:25(起終点駅含む)• 筑豊本線所属駅に限定した場合、折尾駅と原田駅(どちらも鹿児島本線所属 )が除外され、23駅となる。 区間:• 若松駅 - 折尾駅• 折尾駅 - 飯塚駅• 区間:折尾駅 - 桂川駅間(交流20,000V・60Hz)• 複線自動閉塞式(下記以外)• 単線自動閉塞式(飯塚駅 - 桂川駅 - 原田駅間)• :博多総合指令センター 全線が直轄となっている。 運行形態 [ ] 停車場・施設・接続路線 22. 8 JC20 23. 6 新入駅 -1945 直方気動車区 24. 8 JC19 : 26. 1 御館山信号場 27. 5 JC18 28. 1 南良津川仮信号場 30. 1 南良津信号場 -1935 30. 8 0. 5 新多分岐点 -1930 - 3. 1 -1969 31. 3 0. 0 JC17 - 2. 3 -1945 - 0. 7 -1945 34. 7 0. 0 JC16 36. 2 JC15 37. 6 JC14 39. 4 0. 0 JC13 - 0. 5 2 1909-1945 - 1. 0 忠隈駅 1 -1909 42. 3 0. 0 JC11・JG01 - 0. 1 JG02 51. 2 JG03 冷水トンネル 3286m 61. 4 JG04 西鉄: 66. 1 JG05 鹿児島本線• 筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター 出典:基本 、折尾駅付近 優等列車 [ ] の電化時から直方駅 - 博多駅間に運転開始した通勤客向けの特急「」が直方駅 - 桂川駅間を通っている。 からにかけて本州 - 九州間を直通する以下の特急・急行列車が折尾 - 原田間を経由していたが、1985年に寝台特急「あかつき」の筑豊本線経由がなくなったのを最後に消滅している。 急行「」(1950-1961年)• 急行「」(1961-1975年)• 特急「」(1965-1967年)• 特急「」(1967-1968年)• 特急「」(1968-1975年)• 寝台特急「」(1975-1978年)• 寝台特急「」(1978-1985年) この他、筑豊本線からに向かう直通急行列車「日田」「はんだ」が1966年から1980年まで運行されていた(1963年に準急列車として設定、詳細は「」を参照)。 地域輸送 [ ] かつては、若松駅 - 原田駅間の全線を通して運転される列車や、後藤寺線などの支線に乗り入れる列車もあった。 しかし、1968年に篠栗線が開通して筑豊本線内から博多駅に直通する列車が原田駅を経由しなくなったこと、各炭鉱の閉山に伴い沿線人口が減少して支線の宮田線や香月線などが廃止されたことや、福岡・北九州両市への通勤・通学利用が増加したことなどに伴い、当線の運行形態は大きく変化した。 この変化に応える形で、2001年には一部区間が電化され運転系統にあわせた愛称名が付与された。 全区間でを実施している。 若松駅 - 折尾駅間 [ ] 若松駅 - 直方駅間の列車が主体だが、朝のラッシュ時のみ若松駅 - 折尾駅間の区間列車が設定されており、おおむね毎時2本程度運行されている。 若松線は全線複線だが、電化されなかった。 架線式電車の先行投入区間として指定され 、蓄電池電車の量産先行車がから一部の列車で運転を開始した。 2017年3月3日をもって、気動車運用を終了し、翌4日からは若松線の全列車がBEC819系で運転されるようになった。 詳細は「」を参照 下関駅や鹿児島本線の門司港駅・黒崎駅・折尾駅 - 直方駅 - 博多駅間を直通する列車が多数運転されている。 旅客列車はすべて電車である。 の拡大に伴い輸送需要が増加し、列車本数は増加傾向にある。 博多駅 - 直方駅間で運転されるワンマン運転の列車(普通・快速、いずれも2両編成)は、2006年3月17日まで無人駅および有人駅での営業時間外の停車時に関しては、前の車両のドアのみ開き(中扉は開かず・後ろ乗り前降り)、乗車時には整理券をとる必要があったが、のダイヤ改正後より、すべての駅で列車のホーム側のすべてのドアから乗り降りできるようになった。 かつては金曜の深夜運行の臨時列車があったが、3月18日に毎日運転の定期列車に格上げされた。 桂川駅 - 原田駅間 [ ] を挟み、同一県内ながらも輸送需要は少ない区間である。 1日8往復(土曜・休日は昼間に臨時列車1往復運転)のみの運転で、平日は4時間程度間隔が開く時間帯がある。 2005年3月1日のダイヤ改正以後は全列車が桂川駅 - 原田駅間の運転となっている。 現在は途中駅のが全駅とも撤去されているため、この区間で同一方向への運転は可能であるがは不可能である。 このほか、直方駅 - 新飯塚駅・桂川駅間に後藤寺線及び原田線の車両の送り込みがある。 かつて原田線の車両は運行の無い昼間の時間帯に新飯塚駅の引き上げ線に留置していたが、現在は直方駅まで回送されている。 原田線でははなく、始発前に直方運輸センター - 桂川駅間で回送運行される。 昼前に一度運用を終えて直方へ回送するが、その後別の車両が昼過ぎに再び桂川駅へ回送され、最終列車運行後に直方へ回送する。 また、直方 - 熊本・鹿児島の各車両センター間での車両転属・送り込み回送でも、当線を経由して運行されることもある。 電化後の快速については「」を参照 山陽新幹線博多開通の1975年頃から、当時の最新鋭気動車を使用した快速列車が運行されていた。 鹿児島本線 門司港駅・小倉駅 - 筑豊本線 - 篠栗線 - 鹿児島本線 博多駅までの区間を途中の飯塚駅を境に分断して運用されていた(下り1本を除く)。 門司港駅 - 飯塚駅間停車駅(全停車駅掲載。 1975年当時) 門司港駅 - 門司駅 - 小倉駅 - 戸畑駅 - 八幡駅 - 黒崎駅 - 中間駅 - 直方駅 - 新飯塚駅 - 飯塚駅• 快速列車は下り5本、上り4本設定。 上り最終便は、中間駅を通過。 下り1本は、吉塚駅まで通しての快速運転。 上り1本は、吉塚駅 - 飯塚駅まで各駅停車、飯塚駅から快速運転。 で運行される快速が停車、が通過していたは通過していた。 当時は小森江駅、西小倉駅(日豊本線のみ)、スペースワールド駅、陣原駅、折尾駅(通過線走行)、東水巻駅、鞍手駅、新入駅、浦田駅は未開業。 飯塚駅 - 博多駅間停車駅(全停車駅掲載。 1975年当時) 飯塚駅 - 桂川駅 - 篠栗駅 - 吉塚駅 - 博多駅• 快速列車は下り7本、上り5本設定。 基本は上下線共に後藤寺線直通運転(下りは飯塚駅から快速、上りは飯塚駅から各駅停車、一部は直方駅以遠直通運転)。 下り1本は、小倉駅から吉塚駅まで通しての快速運転。 若松駅から下り1本直通運転(飯塚駅から快速)。 当時は門松駅、長者原駅、柚須駅は未開業。 JR移行後は、直方駅を境に分断して運行されていた。 1991年から直方駅 - 博多駅間で当時の新鋭を使用した「赤い快速」がほぼ終日毎時1本運転されていた。 停車駅は以下の通り。 直方駅 - 新飯塚駅 - 飯塚駅 - 桂川駅 - 篠栗駅 - 長者原駅 - 吉塚駅 - 博多駅• 当時は浦田駅、門松駅、長者原駅、柚須駅は開業済み。 電化後の快速は停車駅が増加し、毎時1 - 2本設定されている。 使用車両 [ ] 現在 [ ]• 電車(783系・787系・813系・817系の詳細はを参照)• - 大分車両センター所属車。 主にに使用される。 現在は直方 - 下関・門司港間のみの運用となっている。 かつては篠栗線を含む直方 - 博多間での運用もあった。 - 特急「」に使用される。 - 特急「かいおう」に使用される。 - 福北ゆたか線区間全線で使用される。 - 福北ゆたか線区間全線で使用される。 - 若松線の全列車に使用されるほか、福北ゆたか線でも使用される。 気動車 - いずれも直方運輸センター所属。 - キハ40形・キハ140形が原田線で使用される。 若松線はBEC819系に置き換えられるまで通常キハ47形が使用されていたが、キハ40形・キハ140形・147形が代走することもあった。 電化前は直方 - 桂川間でも使用されていた。 過去 [ ]• 気動車• - 2006年に気動車が大分地区に投入され、捻出されたの気動車がへ転属し、同年8月1日から若松線、8月17日から原田線で運用開始されたが、2017年3月4日ダイヤ改正で若松線は全列車BEC819系に置き換えられ順次廃車(一部の車両は熊本へ転属)された。 残った2両は予備車扱いとなっていたが、2018年3月17日付で直方からへ転配された。 2019年3月23日には原田線でラストランの臨時列車の運転をもち営業運転を終了した。 ・ - 普通列車で使用された。 - 筑豊本線全区間で使用された。 電化時に長崎運輸センターにすべて転属した。 - 大分車両センター所属。 原田線で使用されていたことがある。 - 快速「赤い快速」を中心に使用された。 電化時に他区に分散して転属した。 - 所属。 電化前に全線(一部乗り入れ)で朝夕ラッシュ時を中心に運行されていた。 1995年4月20日のダイヤ改正以降は現在の原田線区間から撤退し若松・門司港 - 飯塚間の2往復のみとなったが、1999年にで客車普通列車が廃止されたため日本最後の客車普通列車(ただし、快速列車としては、の快速「」が残っていた)となり注目を集めた。 しかし、2001年の当線一部電化により廃止された。 機関車• 蒸気機関車 - ・など。 1975年まで使用された。 - (JR貨物)所属。 客車列車・貨物列車が廃止されるまで使用された。 歴史 [ ] 石炭輸送を行うため、 筑豊興業鉄道(ちくほうこうぎょうてつどう。 1894年、 に改称)により開業し、を経て、1907年、により国有化された。 路線は若松から上山田方面と長尾(現在の桂川)方面へ延びていたが、若松 - 原田間が全通すると飯塚 - 上山田間はとして分離された。 民営化後、上山田線は廃止され、筑豊本線は電化された。 (明治24年) : 筑豊興業鉄道が若松 - 直方間を開業、若松・折尾・中間・直方の各駅を新設。 (明治25年) : 直方 - 小竹間を延伸開業。 小竹駅を新設。 (明治26年)• 日 : 植木信号所を新設。 : 九州鉄道の黒崎駅から筑豊興業鉄道の中間駅までを結ぶ短絡線が開業。 : 小竹 - 飯塚間を延伸開業。 鯰田・飯塚の各駅を新設。 : 底井野信号場 - 植木間を複線化。 植木信号所を駅に変更。 底井野信号所を新設。 (明治27年)• 8月15日 : 筑豊興業鉄道が 筑豊鉄道に社名変更。 12月21日 : 折尾 - 中間間・植木 - 直方間を複線化。 (明治28年) : 飯塚 - 間を延伸開業。 (明治29年) : 若松 - 折尾間を複線化。 (明治30年)• : (貨)新入駅を新設。 : 筑豊鉄道が 九州鉄道に合併。 植木駅を筑前植木駅に改称。 (明治31年)• : 臼井 - 間を延伸開業。 大隈 - 間の貨物支線を開業。 大隈駅、(貨)下山田駅を新設• : 飯塚 - 忠隈間の貨物支線を開業。 (貨)忠隈駅を新設。 (明治32年) : 二島駅を新設。 (明治34年)• : (貨)勝野駅を新設。 : 下山田 - 間の貨物支線を延伸開業。 (貨)上山田駅を新設。 : 飯塚 - 長尾間の支線開業。 天道・長尾の各駅を新設。 (明治35年)• : 小竹 - 塩頭間の貨物支線を開業。 (貨)塩頭駅を新設。 : 山野分岐点 - 山野間の貨物支線を開業。 山野分岐点を新設。 (貨)芳雄・(貨)上三緒・(貨)山野の各駅を新設。 (明治36年)12月20日 : 大隈 - 上山田間で旅客営業を開始。 下山田駅・上山田駅を貨物駅から一般駅に変更。 (明治37年)• : 藤ノ木信号所を新設。 以前 : (貨)菅牟田駅を新設。 : 勝野 - 小竹間を複線化。 (明治38年) : 南良津信号所を新設。 (貨)菅牟田駅を廃止。 (明治39年) : 直方 - 勝野間を複線化。 (明治40年) : により九州鉄道が買収され 官設鉄道となる。 (明治41年) : 本城・吉田の各信号所を新設。 (明治42年)• : 中間 - 間・筑前植木 - 新入第三間・鯰田 - 鯰田炭坑間・長尾 - 豆田間の各貨物支線を開業。 (貨)大辻・(貨)新入第四・(貨)新入第三の各駅を新設。 : 制定により若松 - 上山田間・中間 - 大辻間・筑前植木 - 新入第三間・鯰田 - 鯰田炭坑間・小竹 - 塩頭間・飯塚 - 忠隈間が 筑豊本線、飯塚 - 長尾間・長尾 - 豆田間が 長尾線となる• (明治43年) : 筑前植木 - 新入第三間の貨物支線を廃止。 (貨)新入第四駅・(貨)新入第三駅を廃止。 筑前植木 - 新入第三第四間の貨物支線を開業。 新入第三第四駅を新設。 (明治44年)• : 新入仮信号所を新設。 : 中間 - 大辻間の貨物支線を廃止。 (貨)大辻駅を廃止。 (明治45年)• : 新入仮信号場を廃止。 : 勝野駅を貨物駅から一般駅に変更。 (大正2年)• 7月1日 : 新多分岐点 - 新多間の貨物支線を開業。 新多分岐点・(貨)新多駅を新設。 8月20日 : - 間の貨物支線を延伸開業。 (貨)・(貨)漆生の各駅を新設。 (大正5年)• 2月1日 : (貨)赤坂駅を新設。 : 南良津川仮信号所を新設(廃止時期不明)。 (大正6年) : 東藤ノ木信号所を新設。 (大正8年) : 小牧連絡所 - 筑前中山間の貨物支線を開業。 小牧連絡所を新設、(貨)筑前中山駅を新設。 (大正9年) : 漆生線として芳雄 - 漆生間・上三緒 - 山野間を分離。 芳雄駅を貨物駅から一般駅に変更。 (大正11年)• : 小牧連絡所を信号場に改める。 折尾 - 中間間を4線()化。 : 御館山信号所を新設。 (大正12年)• : 中間 - 中鶴間の貨物支線を開業。 (貨)中鶴駅を新設。 7月1日 : 中間 - 筑前植木間を3線化。 (昭和2年) : 本城信号所を信号場に変更。 (昭和3年)• : 筑前植木 - 新入第三第四間の貨物支線を廃止。 新入第三第四駅を廃止。 : 長尾線の長尾 - 筑前内野が延伸開業。 上穂波駅・筑前内野駅を新設。 (昭和4年) : 筑前内野 - 原田間が延伸開業。 筑前山家駅を新設。 筑豊本線 若松 - 飯塚間および長尾線と新線を合わせ、若松 - 原田間を 筑豊本線に変更。 飯塚 - 上山田間を 上山田線として分離。 (昭和5年)• 4月1日 : 新多分岐点を廃止。 5月15日 : 本城信号場 - 折尾間を3線化。 (昭和9年) : 東藤ノ木・藤ノ木・吉田の各信号所を廃止。 (昭和10年)• : 芳雄駅を新飯塚駅に改称。 : 筑前垣生駅を新設。 : 底井野信号所を廃止。 10月1日 : 御館山・南良津の各信号所を廃止。 (昭和15年)12月1日 : 長尾駅を桂川駅に改称。 (昭和17年)6月? 日 : 小竹 - 新飯塚間を複線化。 (昭和19年)• 6月1日 : 新飯塚 - 飯塚間を複線化。 : 藤ノ木駅を新設。 (昭和20年)• 小竹 - 塩頭間の貨物支線を廃止し小竹駅の構内側線とする。 (貨)塩頭駅を廃止し小竹駅に併合。 鯰田 - 鯰田炭坑間の貨物支線を廃止し鯰田駅の構内側線とする。 (貨)鯰田炭坑駅を廃止し鯰田駅に併合。 飯塚 - 忠隈間の貨物支線を廃止し飯塚駅の構内側線とする。 (貨)忠隈駅を廃止し飯塚駅に併合。 桂川 - 豆田間の貨物支線を廃止し桂川駅に構内側線とする。 (貨)豆田駅を廃止し桂川駅に併合。 (貨)新入駅を廃止し直方駅に併合。 (昭和27年) : 中間 - 中鶴間の貨物支線を廃止。 (昭和28年) : 奥洞海仮停車場を新設。 (昭和29年) : 中間 - 筑前植木間を3線から2線にする。 (昭和37年)11月1日 : 奥洞海仮停車場を駅に改める。 (昭和41年)5月1日 : 中間(小牧信号場) - 筑前中山間の貨物支線を廃止。 小牧信号場・(貨)筑前中山駅を廃止。 (昭和44年)10月1日 : 小竹 - 新多間の貨物支線を廃止。 (貨)新多駅・本城信号場を廃止。 (昭和59年)2月1日 : 若松 - 折尾間の貨物営業を廃止。 (昭和62年)• 4月1日 : 直方 - 原田間の貨物営業を廃止。 により九州旅客鉄道(全線・第1種)・日本貨物鉄道(折尾 - 直方・第2種)が承継。 7月1日 : 鞍手駅(2代)を新設。 (昭和63年)• : 短絡線上にも折尾駅ホームを設置。 東水巻駅を新設。 9月1日 : に指定された上山田線が廃止。 (平成元年) : 新入駅(2代)・浦田駅を新設。 (平成13年) : 折尾 - 桂川間を電化。 同区間に篠栗線 吉塚 - 桂川間と合わせて「福北ゆたか線」の愛称を、また、非電化区間の原田 - 桂川間、折尾 - 若松間にそれぞれ「原田線」・「若松線」の愛称を付けた。 (平成15年) : 本城駅を新設。 (平成17年)4月1日 : 日本貨物鉄道が折尾 - 直方間の第2種鉄道事業を廃止。 (平成28年)12月22日 : スマートフォンアプリ「JR九州アプリ」内の列車位置情報システム「どれどれ」運用開始。 (平成29年)3月4日 : 若松 - 新入間の11駅(折尾駅を除く)に「ANSWER」を導入。 若松・中間の両駅は朝通勤・通学時間帯(6:30-8:30)に駅係員を配置するが、それ以外の時間帯と両駅を除く9駅の終日について無人化。 (平成30年)• 7月6日 : で桂川 - 原田間の線路が被災し運休。 7月11日より同区間でバス代行輸送を実施。 9月28日 : 筑豊本線内において路線愛称別にが制定された。 (平成31年)• 3月9日:桂川 - 原田間の運転再開。 地元自治体の協力の下で『復旧記念セレモニー』が開催された。 前日まで同区間でバス代行を実施。 3月16日:折尾駅構内で高架化・線路切り替え。 折尾駅の若松線ホームが高架ホームに移設され、ホームが廃止。 また、新しい立体交差として、「折尾トンネル」の若松線部分が供用開始。 (令和2年)4月11日 - 5月10日(予定):に伴い、土休日の「かいおう」および、黒崎 - 直方間の一部普通列車の運転を取りやめ。 駅一覧 [ ]• 九:制度の「北九州市内」エリア内の駅• 停車駅• 福北ゆたか線の停車駅については「」を参照• 若松線・原田線は全列車普通列車(すべての駅に停車)• 全駅内に所在 電化/非電化 路線愛称 駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地 非電化 若松線 JE 06 九 - 0. 9 2. 7 4. 7 6. 0 9. 5 10. 7 13. 4 14. 5 16. 3 18. 5 21. 6 22. 0 24. 7 27. 8 31. 4 34. 5 36. 4 37. 8 39. 9 42. 0 45. 8 48. 1 | 飯塚市 JG 03 3. 1 51. 2 | JG 04 10. 2 61. 4 | JG 05 4. 7 66. (貨)は貨物駅を表す。 中間駅 - (貨) 0. 9km• 中間駅 - - (貨) 5. 9km• 筑前植木駅 - (貨) 0. 6km• 小竹駅 - (貨) 3. 1km• 小竹駅 - (貨) 2. 3km• 鯰田駅 - (貨) 0. 7km• 飯塚駅 - (貨) 0. 5km• 桂川駅 - (貨) 0. 4km 過去の接続路線 [ ]• 若松駅:(貨物線)• 折尾駅:• 中間駅:• 直方駅:• 勝野駅:• 小竹駅:• 飯塚駅: 輸送実績 [ ] 区間別の平均通過人員()、旅客運輸収入は以下の通り。 日本国有鉄道電気局『鉄道電報略号』、1959年9月17日、24頁。 - 九州旅客鉄道• 九州旅客鉄道. 2018年9月28日時点のよりアーカイブ。 2018年9月28日閲覧。 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 [ ]• 北九州市. 2017年1月4日時点のよりアーカイブ。 2019年3月7日閲覧。 - レスポンス、2014年11月28日• - 鉄道ファン・railf. jp 鉄道イベント、2019年3月14日• - 鉄道ファン・railf. jp 鉄道ニュース、2019年3月24日• 、2001、「RAILWAY TOPICS - 筑豊・篠栗線電化開業は10月6日に決定」、『』(通巻414号)、、2001年4月 p. 日本語 PDF プレスリリース , 九州旅客鉄道, 2017年2月3日 , の2018年9月28日時点におけるアーカイブ。 , 2020年2月7日閲覧。 - 九州旅客鉄道、2018年7月9日• - 九州旅客鉄道、2018年7月10日• 産経新聞 産経新聞社. 2019年3月9日. 2019年3月10日閲覧。 九州旅客鉄道. 2019年2月7日時点のよりアーカイブ。 2019年2月7日閲覧。 2019年3月10日. 2019年3月11日閲覧。 九州旅客鉄道 2018年12月14日. 2018年12月15日時点のよりアーカイブ。 2018年12月15日閲覧。 - 西日本新聞、2019年3月16日• - 九州旅客鉄道(2020年4月8日)• - 日本経済新聞(2017年7月31日 23:30配信)• 九州旅客鉄道. 2017年8月18日閲覧。 参考文献 [ ]• 『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、、2009年、pp. 23,31-32。 『四国・九州ライン - 全線・全駅・全配線』第4巻 福岡エリア、、2013年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 - 同湾の海底トンネルを建設し、鹿児島本線のと若松駅を結んで同線(若松線)との直通を行う構想が北九州市により検討されたが、採算性の問題により現在も調査段階にある。

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原田 駅 から 博多 駅

福岡県筑紫野市に原田(はるだ)という地区があります。 ここは昔、長崎街道の宿場町のひとつ「原田宿」でした。 また、筑豊地区の桂川(けいせん)駅から博多駅に至る経由地として昭和初期にも栄えていた町でもあります。 『 』P42で、原田駅の盛衰について解説されていたため、現在の原田駅がどのようになっているのか足を運んでみました。 前回の投稿でご紹介した「旧九州鉄道城山三連橋」から近い距離であったため、「旧九州鉄道城山三連橋」へいったのを機に、駅にもいってみたという感じです(参照:) 原田駅はJR九州 鹿児島本線のひとつの駅であり、筑豊本線の終着駅でもあります。 九州鉄道開通時に造られた駅(1889年)なので、九州でも最も古い駅でもあります。 もともとは九州鉄道のひとつの駅としての機能でしたが、筑豊本線が1929年に、原田駅まで伸びてきたことで、2つの線の駅として機能しはじめました。 駅前には大きなロータリーがあり、原田の町自体も新しい住宅が並び綺麗で、清潔感のある町です。 451518,130. 539444 しかし、この原田駅は昭和40年前半まで、さらに多くの人でにぎわっていたそうです。 建築中の駅舎が写真にのっています。 炭坑景気に沸く筑豊の人々が、博多や長崎方面へ出るには最も便利な乗換駅であり、ホームにはうどん屋や駅弁屋も並んで賑わいを見せていました。 駅弁売りも「ベントー、ベントー」と声をあげ構内を歩き回っていたそうです。 今から約30年前にも、まだ、福岡県北九州市の折尾駅でも駅弁売りのかたが、構内で駅弁を売り歩いていた記憶がかすかに残っています。 その全盛の頃の原田駅も、1968年(昭和43年)にJR九州 篠栗線が開通してから、利用者数が激減し、ホームにあったうどん屋や駅弁屋も姿を消しました。 この投稿のタイトルとして「栄えていた」という言葉を入れましたが、原田駅が現在も、利用者数が少ない駅であるわけではありません。 2018年年度の「駅別乗車人員上位300駅(JR九州)」を見てみると、1日あたりの平均乗車人数が3976人と、300位中51位の上位に入っています(参照:)。 平成初期から乗客数が徐々に増えていることに合わせて、駅周辺の開発が進んでいることや、久留米や博多へ原田駅が直結することを考えあわせると、これからも数年は利用客数が減少することはないのではないかと予想されます(参照:)。 regenerationderhydra.

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