マザー テレサ ノーベル 平和 賞。 マザー・テレサの秀逸すぎる名言5つ「愛の反対は憎しみではなく無関心である」

世界のもっとも貧しい人々に尽くした修道女、マザー・テレサ

マザー テレサ ノーベル 平和 賞

愛と慈しみの象徴「マザー・テレサ」 この名前を知らないという人は、世界中探してもほとんどいないのではないでしょうか。 インドを中心に世界の貧しい人たちのために生涯をかけて奉仕し、 無償の愛と慈善の心をその身を持って体現した、世界で最も偉大な人物の一人として知られています。 マザー・テレサといえば、1979年に受賞したノーベル平和賞で有名な エピソードがあります。 テレサはノーベル賞の授賞式であっても、普段通りの 白い木綿のサリーと皮のサンダルという粗末な格好で出席しました。 そして賞金である 約20万ドルは全てカルカッタ(インドの町の1つ)の貧しい人々のために使うことを希望し、こう言ったそうです。 「私のための晩餐会は不要です。 その費用はどうか貧しい人々のためにお使いください。 そして、賞金を受け取った際も eと言ったといいます。 「社会や他の誰かのために奉仕する」 口で言うのはカンタンです。 しかし、マザー・テレサのように行動を伴って体現できる人はごく稀です。 しかも、それを長い期間、一切の見返りなしで実行できる人はほとんどいないと言えるでしょう。 (だからこそ、テレサの行いは世界的に評価され、ノーベル賞という世界で最も素晴らしい賞をもらうまでになったのです) そんなマザー・テレサの残した言葉は一つ一つが、貴重な英知とこの世の真理を内包した偉大な名言となっているのではないでしょうか。 愛の反対は憎しみではなく無関心である。 恋愛の世界でよく言われる「好きの嫌いは無関心」という言葉の元になったのではないかと言われるくらい、多くの人をハッとさせ、人間の本質をついた言葉だと思います。 今回は、そんなマザー・テレサの秀逸すぎる名言6つをあなたにご紹介しようと思います。 度の名言もあなたの心に響き、あなたの思考と人生に大きな影響を与えるでしょう。 それでは、早速いってみようと思います。 マザー・テレサの名言6つ (マザー・テレサの写真、引用:) 挑戦こそが人生だ 神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。 ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。 明日へ向かって一歩踏み出す大切さを教えてくれます。 「すべての偉業は、たった一つの小さな挑戦から始まった」 このことに異論を唱える人は、特にいないのではないかと思います。 ウォルト・ディズニーが、あの偉大な「夢の国」を築き上げたのも、すべてはたった一匹のねずみがスタートでした。 ビル・ゲイツが世界的企業マイクロソフト社を創設したのも、「世界中の家庭にパソコンを普及させたい」という一つの想いから始まったのです。 夢は望まなければ、叶いません。 何かを変えない限り、永遠に人生は変わらないのです。 暗いと不平を言うよりも、 あなたが進んで明かりをつけなさい。 何も変えようとしない人間に、人生がある日突然素晴らしいプレゼントを与えてくれるなんてことはないのです。 人生に変化を起こすことができるとしたら、それはあなた自身の手で人生を変える覚悟を持ち、新たな一歩をふみ出したときだけではないでしょうか。 「失敗したらどうしよう」 もし、あなたが実現したいことやもっと良くしたいことがあるのに、その一歩をふみ出せないとしたら、それはこのような不安が頭から離れないからかもしれません。 ただ、そこで「挑戦しない限り、成功はあり得ない。 失敗を恐れずに挑戦しよう。 」とむやみに主張しても、おそらくあなたの心には届かないでしょう。 なので、私はあなたに 無理やり挑戦しろと言うつもりはありません。 しかし、しっかりと現実と向き合って自分なりの決断を下して欲しいとは思います。 今、挑戦することのメリット、デメリット、失敗したときのリスクやそれを実現するために必要なものなどを客観的に判断し、自分自身の意志で「挑戦する」、「挑戦しない」という決断を下してください。 あまりにも多くの人が、なんとなくできる気がしないから挑戦しないとか、わかんないけど勢いで挑戦してみよう!という感じで選択し、失敗していきます。 そうではなく、 なぜ失敗すると感じてしまうのか、失敗したときのリスクは何があるか、万が一失敗したとしてそのリスクを最小限に抑える方法はないかなどを深く考え、その上で「挑戦するかしないか」を決定してほしいのです。 理由や根拠のない不安に押しつぶされ、貴重なチャンスを逃してしまうのはあまりにもったいないことだと思います。 どんな夢や偉業を志す場合でも、まずは「現実としっかり向き合う」ことがスタート地点となるのではないでしょうか。 マザー・テレサの偉大な名言にもこうあります。 太陽を見なさい。 そうすれば影は見えなくなるから。 その恩恵を受けなさい。 人生とは美です。 賛美しなさい。 人生とは至福です。 味わいなさい。 人生とは夢です。 実現しなさい。 人生とは挑戦です。 対処しなさい。 人生とは義務です。 全うしなさい。 人生とは試合です。 参加しなさい。 人生とは約束です。 それを果たしなさい。 人生とは悲しみです。 克服しなさい。 人生とは歌です。 歌いなさい。 人生とは闘争です。 受け入れなさい。 人生とは悲劇です。 立ち向かいなさい。 人生とは冒険です。 挑戦しなさい。 人生とは幸運です。 呼び込みなさい。 人生とはあまりに貴重です。 壊してはいけません。 人生とは人生です。 勝ち取りなさい。 人生の大切さと夢を与えてくれます。 いつだって、私たちが生きることができるのは「今」を除いて他にないのです。 人生を変えたいのなら、今この瞬間を変えてください。 幸せになりたいと思うなら、今幸せになる選択をとるのです。 マザー・テレサの名言にもこうあります。 今、この瞬間幸せでいましょう。 それで十分です。 その瞬間、瞬間が、 私たちの求めているものすべてであって、 他には何もいらないのです。 人生を変えたいと願いながら何もしない人は「人生を変えたくない」と言っているようなものです。 説教して聞かせても、それは人と触れ合う場にはなりません。 ほうきを持って誰かの家をきれいにしてあげてごらんなさい。 その方がもっと雄弁なのですから。 どれほど優れた思考やアイデアも、行動を伴わなければ無意味なのです。 (マザー・テレサの素晴らしい名言をいくら聞いても、ほとんどの人はそれを自分の人生に活かそうとしないからこそ、結局宝の持ち腐れで終わってしまうのです) そして、不安や悩みを解消する最良の方法は、実行することです。 なぜなら 「悩む」という行為そのものが、「行動しないための言い訳」にすぎないと私は思うからです。 悩んでいる間は行動しないで済むからこそ、本気で解決しようと思わないばかりか、むしろこのまま悩んでいたいと無意識下で思っている可能性さえあります。 早足で歩くのと同時に惨めに感じるのは不可能です。 行動を起こしなさい。 導いてくれる人を待ってはいけません。 あなたが人々を導くのです。 私たちは、大きいことはできません。 小さなことを大きな愛を持って行うだけです。 人生の本質を見事に言い当てているのではないでしょうか。 マザー・テレサのノーベル平和賞受賞も、エジソンによる電球の発明も、クリストファー・コロンブスの新大陸発見もすべて、一日二日で成し遂げられた偉業ではありません。 勇気を持ってスタートを切り、継続的に実行し続けたからこそ、彼らは非凡な結果を収めることができたのです。 われわれの多くは、すぐに偉大な結果を求め、一夜にして非凡さへ到達しようとしてしまいます。 偉大さとは、日々の一貫した訓練の上に成り立っていることを知らないのです。 日々の小さな変化こそが、あなたを進化させ、人生に革命を起こす このことをどうか忘れないでください。 人生の勝利者は、必ずしも素晴らしい才能を持った人やたぐいまれな豪運に恵まれた人間だとは限りません。 ほとんどの場合、 目の前の小さな楽しみよりも、未来のもっと大きな喜びを優先し、日々小さな勝利を積み重ねることができる者です。 マザー・テレサの名言にあるように 「大きな志を持って、小さな行動を起こすのです」 そして、可能であればそれを「継続」してください。 その小さな一歩一歩があなたの理想へと導いてくれるでしょう。 私たち一人一人が、 自分の玄関の前を掃除するだけで、 全世界はきれいになるでしょう。 しかし、その小さな力を集合させたとき、計り知れないパワーを発揮する可能性があるのです。 同様に、 われわれが一日にできることなどたかが知れてますが、それを数か月、数年、数十年と積み重ねていけば、いつの日かあなたも天才の仲間入りができるかもしれません。 さあ、ささやかな、けれど偉大な一歩を今日ふみ出しましょう! 「こんなことやって意味があるの?」そう嘆きたくなったら、マザー・テレサのこの名言を思い出してください。 愛や誠実さこそが、世界を救うということを教えてくれます。 中には、他人を貶し、咎め、陥れることで優越感に浸る人さえいるのです。 ですが、よく考えてみてください。 誰かを責めたり、貶めることは、他人本位で考えれば何のメリットもないことは一目瞭然ですが、自己中心的に考えても「百害あって一利なし」だと思います。 他人を攻撃することについてテレサはこう言っています。 他人をとがめる資格が私たちにあるのでしょうか。 非難する前に、自分の心の中を見つめる義務が私たち一人一人にあります。 (場合によっては、その他の人からの信頼も失うかもしれません) 「与える者こそが、多くを得られる」ということを示すマザー・テレサの体験談をご紹介しましょう。 夜の10時頃だったでしょうか。 ドアのベルが鳴りました。 私がドアを開けると、一人の男の人が寒さに震えて立っていました。 「マザー・テレサ、あなたが大きな賞(ノーベル平和賞)を受賞なさったと聞き、私もわずかですが何か差し上げたいと思いました。 これが今日私がもらったすべてです。 何卒、お受け取りください。 」 それは確かにわずかでした。 でも、彼の持ち物すべてだったのです。 それは、私にとってノーベル賞以上の感動を与えてくれました。 この男の人が、この後何を受け取ったかは知りません。 ただ、この人が日頃からこのような行いをしているのなら、彼はいずれ、成功も幸福も人望もすべてを手に入れるでしょう。 なぜなら、その他大勢の人は自分のことしか考えていないからです。 ちょっと考えたらわかることですが、「私」に親切にしてくれる人、もっと言えば自分のこと以上に「私」を大切にしてくれる人を嫌いになる人はいるでしょうか。 彼のように、 相手に親切心と好意を示し、自分の利益よりも相手のことを優先できる人間が信頼されないはずがないのです。 (企業も同様で、顧客のことを第一に考え、顧客に誠実である企業の商品やサービスをわれわれは利用したがる傾向にあります) 誠実で親切な人間であってください。 「情けは人の為ならず」というように、人を思い、人のために行動することが、あなたにその何倍、何十倍ものリターン(お返し)を生み出すのです。 (ましてや、他人を攻撃したり、不誠実であるなんてことはあってはなりません) マザー・テレサの言葉にこうあります。 愛されることより、愛することを。 理解されることより、理解することを。 真に愛される人とは、自ら愛そうとする人だけです。 皆に好かれ、慕われている人は、まず自分から誰かに笑いかけています。 愛されたいなら、まずあなたが愛しましょう。 あなたが欲しいものを手に入れる最も確実な方法は、まず自らが与えることです。 ウソだと思うなら、今度自分から「おはよう」と挨拶をしてみてはいかがでしょうか。 きっとその効果を身を持って体感すると思います。 愛とは 世界平和のためにできることですか? 家に帰って、家族を愛してあげてください。 秀逸な回答(名言)です。 まあ実際、愛とは概念(抽象)なので、言葉で説明するのはきわめて難しいかもしれません。 例えば、マザー・テレサは愛についてこう言っています。 愛はいつでも旬の果物で、誰の手にも届くところにあるのです。 人間以外の生物は、自分と自分の子供以外の生き物を愛することはないですし、生物によっては愛情という感情を持っているのか分からないような生き物もいます。 けれど、 人はその気になれば「愛するもの」の定義をどこまででも広げていけるし、愛する定義を広げていくことこそが、幸せな人生を送るカギなのではないかと思っています。 例えば、人はペットは動物としてときに家族のようにかわいがりますが、スーパーで売られている動物(食品)には微塵も愛情を示しません。 当然といえば当然の話ですが、 その愛する優先順位をなくし、すべての生き物を愛せるようになることができれば理想的です。 (マザー・テレサはその境地にかなり近いところにいたのではないかと私は思います) ただ、そうは言ってもそれは決して簡単なことではないと思うので、まずは「 自分と大切な人たち」くらいはしっかりと愛すことから始めてみてください。 「自分はできている」などと勘違いしないことです。 多くの人は、大切な人たちを愛することすらできていないのが現状だからです。 例えば、家族を大切にしていると言いながら、毎日家族と過ごす時間を作れていないビジネスマンは大勢います。 十分に愛することが出ていれば、毎年あれほどの数のカップルが別れるなんて事態は起こらないはずです。 愛する人に「愛してる」ことを言葉や行動で伝え、その想いを共有することです。 もっと愛する人と時間を共にしてください。 その人たちのことをもっと真剣に考え、自ら与えるのです。 (詳しくは前章参照) 「いかに愛せるか」 これこそが、あなたの人生の価値を決め、人生の幸福度を決定するといっても過言ではないでしょう。 そして、誰かを愛することと同じくらい重要なことは「自分を愛する」ということです。 今日の最悪の病気はハンセン病でも結核病でもなく、 自分は不必要だという思いである。 自分を心から認め、愛することができない人は、本当の意味で幸せになることは到底不可能なのです。 (「私は自分が大好き!」と笑っている人で、不幸そうな人をあなたは見たことがありますか?) 「自分を愛し、それと同じくらい他者も愛する」その意識を持つことが、人生をより豊かにする秘訣の1つではないかと私は思います。 マザー・テレサの名言まとめ いかがでしたか? あなたの心を揺さぶる秀逸な名言は見つかったでしょうか。 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 今回テレサの名言から学んだ様々な知恵と知識をあなたの思考として吸収し、自分のものとするのです。 ただ知るだけでは十分ではありません。 あなたがその知識を思考として取り入れ、自分の行動に活用したとき、あなたの人生に大きな影響を与えることができるのです。 マザー・テレサの言葉一つ一つをその身を持って実行し、世界をより良いものへと変えていくことをテレサ本人も望んでいると思います。 昨日は去りました。 明日はまだ来ていません。 私たちにはただ、今日があるのみ。 さあ、始めましょう。 最後までお読みいただきありがとうございました。 それでは、最後に今回は紹介しきれなかったマザー・テレサの秀逸な名言を他にもいくつか紹介して終わろうと思います。 どの名言もあなたに新たな気づきや発見を与えてくれる素晴らしい言葉となっているでしょう。 あなたは、あなたであればいい。 あなたの強さはささいなことの中にあるのですから。 残り物ではいけません。 痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与え尽くしてください。 親切と無関係に奇跡をおこなうより好きです。 愛はまず身近なところから始まります。 だけど、私たちがやめたら確実に一滴が減るのです。 笑いたくなくても笑うのよ。 笑顔が人間には必要なの。 それでも許しなさい。 人に優しくすると、 人はあなたに何か隠された動機があるはずだと非難するかもしれません。 それでも人に優しくしなさい。 成功すると、 不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。 それでも成功しなさい。 正直で誠実であれば、 人はあなたを騙すかもしれません。 それでも正直で誠実にいなさい。 歳月を費やして作り上げたものが、 一夜で壊されてしまうかもしれません。 それでも作り続けなさい。 心を穏やかにし幸福を見つけると、 妬まれるかもしれません。 それでも幸福でいなさい。 今日善い行いをしても、 次の日には忘れられるでしょう。 それでも善を行い続けなさい。 持っている一番いいものを分け与えても、 決して十分ではないでしょう。 それでも一番いいものを与えなさい。

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マザー テレサ ノーベル 平和 賞

マザー・テレサはこんな人 愛と慈善と平和の体現者 マザー・テレサ。 歴史上の偉人のように思われがちですが、亡くなったのは1997年(享年87歳)ですから、ほんの20数年前のことです。 1910年、現在の北マケドニア共和国に生まれました。 わずか12歳で修道女になる決意をし、18歳で母国を離れました。 それからは、その身をひたすら神と世界中の人々に捧げました。 マザー・テレサは、とくに、「貧しい人、飢えた人、障害がある人、ハンセン病患者」など、社会から受け入れられない人々を助けることに注力し、長年の業績が認められ、1979年にノーベル平和賞を受賞しました。 ノーベル賞受賞講演でのスピーチを抜粋します。 愛は家庭から始まります There is so much suffering, so much hatred, so much misery, and we with our prayer, with our sacrifice are beginning at home. Love begins at home, and it is not how much we do, but how much love we put in the action that we do. あまりに多くの苦しみや憎しみ、不幸があります。 そこで私たちは、祈ること、犠牲になることを家庭から始めています。 愛は家庭から始まります。 大切なのは、どれだけたくさんのことをするか、ではなく、どれだけの愛を込めてできるかということです。 ある男性とので出会い The other day I received fifteen dollars from a man who has been on his back for twenty years, and the only part that he can move is his right hand. And the only companion that he enjoys is smoking. And he said to me: "I do not smoke for one week, and I send you this money. " 先日、私はある男性から15ドルいただきました。 その男性は20年間寝たきりで、右手しか動かせません。 唯一の楽しみはタバコを吸うことです。 彼は私に言いました。 「1週間タバコを吸いませんから、その分のお金を寄付します」と。 彼にとって大変な犠牲だったと思います。 でも、それがどんなに美しい行為だったか、どんな思いで彼が分けてくれたのか、想像してみてください。 私はそのお金でパンを買い、お腹をすかせた人たちに与えました。 病気の男性が施しを与え、お腹をすかせた貧しい人たちがそれを受け取ったのです。 お互いにとって喜びとなりました。 あなた方や私がこのようなこと、つまり、他人と愛を分かち合えるのは、神からの賜り物です。 sacrifice 犠牲 My parents made many sacrifices to pay my college tuition. He achieved his success at great sacrifice. The female executive sacrifices her time with her family and fights alone in a male-dominated world. 苦しいときほど笑顔を絶やさずに We have no reason not to be happy because we have no Christ with us. Christ in our hearts, Christ in the poor that we meet, Christ in the smile that we give and the smile that we receive. Let us make that one point: That no child will be unwanted, and also that we meet each other always with a smile, especially when it is difficult to smile. 私たちは、実際にキリストの近くにいなくても、幸せでいられます。 なぜなら、キリストは私たちの心の中にいるからです。 私たちが出会う貧しい人々の中に、私たちが与える笑顔の中に、また受け取る笑顔の中に、キリストは存在します。 忘れないようにしましょう。 望まれない子供などいないことを。 そして、とくに笑うのが難しいときにこそ、笑みを絶やさずにお互いに出会うことを。

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マザー・テレサの人間的な素顔について調べてみた

マザー テレサ ノーベル 平和 賞

愛の実践の源は、このイエスに愛されているという実感である。 これを見失ったら、神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)の貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えるという誓願を、シスターたちは果たすことができなくなってしまうとマザー・テレサは言っている。 "I love You. "と語りかけてくるイエスとは、想像ではなく、現実に見ることができ、声を聞くことができ、手を伸ばせば触れられるイエスのことを言っているのだ。 (ベナレスからのマザーテレサの遺書では次のように語っている。 ) どんなにか深くイエスはあなたを愛していることか、それはあなたの想像をはるかに越えています。 私はあなた方の中で、まだ本当にイエスと出会っていない人がいることを心配しております。 一対一、すなわちあなたとイエスだけで、という意味です。 私たちは聖堂の中で時を過ごします。 しかしあの方がどんなに愛をこめてあなたを見ているか、魂の目で見たことがありますか。 あなたは本当に生きているイエスを知っていますか。 それは本からではなく、あなたの心の中で、あの方と共に在り続けることによって知るのです。 あなたはあの方が語りかけてくる愛の言葉を聴いたことがありますか。 (それができるように)神の恵みを願いなさい。 あの方はその恵みをあなたに与えたくてしようがないのですから。 あなた自身の心の静けさの中で、イエスの声を聞けるようになるまで、あの方が貧しい人々の心の中で "I THIRST. "(私は渇く)と言っているのを聞くことはできないでしょう。 日常、イエスと親しく触れ合うことをあきらめてはいけません。 私が言っているイエスとは実際に生きている存在としてのイエスであって、頭で想像するイエスではありません。 「あなたを愛してます」というイエスの言葉を聞くことなしに、一日を終えることができるでしょうか。 いいえ、できません。 身体が呼吸するように、私たちの魂はその言葉を必要としているのです。 もし、そうでなければ、私たちの祈りは死んだも同然です。 黙想はただの考えている時間に過ぎません。 イエスはあなた方一人ひとりに、耳を傾けてくれることを求めています。 あの方は、あなたの心の静けさの中で語りかけているのです。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) マザー・テレサの講演【ノーベル平和賞授与式典にて】より抜粋。 私たちは愛するため、また愛されるために創られました。 そして、彼が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛することができるように、イエスは人間となられたのです。 イエスはご自分を飢えているものになさいます。 着る物がない者に、ホームレスの者に、病気の者に、牢獄の者に、孤独の者に、望まれない者になさいます。 そしてこう言うのです。 「あなたがそれを私にしてくれた。 You did it to me. 」 彼は私たちの愛に飢えているのです。 それは、貧しい人々の飢えなのです。 そして、この飢えは、皆が気がつかなければならない飢えなのです。 それは私たちの家の中にもあるかもしれません。 イエスがこう言われたことを私たちは信じるのです。 「私は飢えていた。 着る物がなかった。 家がなかった。 望まれなかった。 愛されなかった。 大切にされなかった。 しかし、あなたはそれを私にしてくれたではないか。 "You did it to me. "」 私たちはソーシャル・ワーカーではないと思っています。 たぶん人々の目には、私たちがソーシャル・ワークをしているように見えるかもしれません。 しかし、私たちは黙想的な世界に生きているのです。 二十四時間、イエスの体に触れているのです。 二十四時間現存していらっしゃるイエスがいるのです。 あなたもそうなのです。 共に祈り、共に居る家族のために、神と共に在り続けるように努めなければなりません。 私は、家庭に平和をもたらすことを邪魔する爆弾や銃は必要ないと思います。 ただ共に集い、隣人を愛し、平和を喜び、そして、家庭で共にいることの力強さをもたらすことです。 この世にはあまりにも多くの苦しみ、憎しみ、そして悲しみがあります。 私たちの祈りと犠牲は、家庭から始まるのです。 愛は家庭から始まります。 私たちがどれだけのことをなすかということではなく、どれだけの愛をこめて行うかということです。 神は全能です。 私たちがどれだけのことをなすかということは、問題ではありません。 神は無限なる存在です。 どれだけの愛を込めて行うかが大切なのです。 私たちが仕えている人々の中におられる神に、どれだけのことができるかです。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) あの方はあなたを愛しているばかりではなく、それ以上にあなたを求めているのです。 あなたが近づこうとしたとき、あの方はとても淋しく思っています。 あの方はあなたに渇いているのです。 あなたがたとえ自分なんて愛される価値などないと思っているときでさえ、あの方はいつもあなたを愛しているのです。 あなたが他の誰からも受け入れられないとき、また自分自身ですら受け入れられないときでも、あの方だけはいつもあなたを受け入れてくれるのです。 子どもたちよ、イエスがあなた方を愛するのに分け隔てはありません。 ひたすら信じなさい。 彼にとってあなた方は宝物なのだということを。 あなたが悩んでいる全ての重荷をあの方の足下に置いてみなさい。 あなたがありのまま、あの方に愛されるためには、ただ心を開くだけでよいのです。 あとのことはあの方がやってくださるでしょう。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) 1946年9月10日にダージリンに行く列車の中で、マザー・テレサに語りかけてきた言葉についてである。 マザー・テレサは、「イエスが何を語りかけてきたのか、初めは理解できなかった」というのである。 しかし、イエスの母マリアはマザー・テレサに、「彼があなたに言われることは何でも行いなさい」と言い、マザー・テレサはただ「はい」と答えて従っていったというのである。 その9月10日のメッセージのことは、どの本にも、「修道会を出て、貧しい人々の中の最も貧しい人に仕えなさい、 と言われた」と、書いてある。 しかし、そのようなお告げなら、普通の人ならともかく、マザーテレサが理解できない話ではない。 事実は、"I THIRST. "(私は渇く)と言って、息を引き取る直前のイエス・キリストが目の前に現れてきたというのである。 そして理解できないでいるマザー・テレサに、今度はマリアがただ、「はい」と言ってついていきなさい、と言われたのである。 "I THIRST. "(私は渇く)と言って、十字架につけられたイエスがなぜ自分の目の前に現れたのだろう。 祈りを深めていくうちに、思い出されてきた新薬聖書の話に『マタイによる福音書』の一節があった。 「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた」という。 すると義人たちは答えて、「主よ、いつ私たちはあなたの飢えているときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅のときに宿らせ、裸だったときに服をあげ、病気のときや牢に入られたときに見舞ったでしょうか」という。 主は答える、「まことに私は言う。 あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」 (『マタイによる福音書』第25章) 「あなたが私にしてくれた」すなわち、"You did it to me. "という言葉が、繰り返し心に響いてくるのだった。 何度もマザー・テレサは、"You did it to me. "という言葉を繰り返した。 この言葉が、すべての謎を解く鍵、キー・ワードだということがしだいに明らかになっていった。 人が「渇く」というのは肉体の渇きを意味し、イエスが「渇く」というのは、霊の渇きを意味している。 そして、人は渇きを癒すために「水」を与えるが、イエスは渇きを癒すために「聖霊」を与えた。 また、「水」で満たされた渇きはまた渇くが、「聖霊」で満たされた渇きは永遠に渇くことがない。 時間を経てマザー・テレサは、イエス・キリストが自分に何を求めているのか、ようやくすべてを理解した。 その求めに「はい」と応えたが、棄てなければならないものの大きさに最初の一歩を踏み出すことができなかった。 今のままでも十分イエスに応えていたはずだが、もっと違う生き方が求められている。 ためらっているマザー・テレサに、あたかも脅しをかけるかのようにイエスは呼びかけてきた。 これはダージリンに行く汽車の中で啓示を受け、その意味を理解したあと、行動できずに迷っているマザー・テレサに臨んできたイエス・キリストの呼びかけである。 マザー・テレサが亡くなってしばらくしてから、1947年1月13日に彼女がペリエ大司教に宛てた手紙が、インターネットに公開されたことがあった。 それを読むと、マザー・テレサは外部に対して一度も語ったことはないが、超人的な霊感を持ち合わせ、遥か時空を超えてイエス・キリストや聖母マリアと語ることのできる能力を持っている人であったことがわかる。 マザー・テレサは本当に苦しい選択に立たされていた。 イエス・キリストと語り、「私を選ばないでほしい」と説得しようと何度も試みたという。 何度も繰り返されるイエスの呼びかけを、マザー・テレサは本当に恐れた。 インド人のように食べ、寝、生活するという思いは、彼女の心を恐怖でいっぱいにしたマザー・テレサは長いこと祈った。 そして聖母マリアに頼んだ。 「このような役目をみんな私から取り除いてくださるよう、イエスにお願いしてください。 しかし祈れば祈るほど、「声」はより鮮明になって心に響いていった。 ついにマザー・テレサはあきらめた。 そして「イエスが望むどんなことにでも私を使ってください」と祈ったとき、再びいつもの声が彼女に呼びかけてきた。 その声は非常に鮮明だった。 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) 最後に、私たちがどのようにしたら"I THIRST. "(私は渇く)というイエスの叫びが理解できるようになるのか、その秘訣を示して、この手紙(ベナレスからのマザー・テレサの遺書)は終わる。 ひとつ秘訣を教えてあげましょう。 それはイエスご自身に近づくことです。 あなたがイエスに近づけば近づくほど、イエスの渇きをより深く知ることができるのです。 「悔い改めなさい。 そして信じなさい。 」とイエスは言っています。 悔い改めるとは何を悔い改めるのでしょう。 それは私たちの関心のなさ、心の堅さのことです。 私たちは何を信じることができるでしょうか。 それはイエスの渇きが、今このときでさえ、あなたの心の中にあり、貧しい人々の中にあるということです。 あの方はあなたの弱さも知っています。 あの方はただあなたの愛だけを望んでおられます。 そしてただ、あなたを愛するチャンスだけを望んでおられます。 イエスは時間に束縛されません。 ですから、私たちがあの方に近づこうとすればいつでも、私たちは聖母マリアや、使途ヨハネ、そしてマグダラのマリアの仲間になれるのです。 あの方の声を聞きなさい。 あの方が呼んでいるあなたの名前を聞きなさい。 イエスよ、私の喜びと、あなたの喜びを、完全なものにさせてください。 祈りましょう。 God Bless You. (神の恵みがありますように) 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫(著)PHP研究所 ) イエスさま、私がどこにいても、あなたのかおりをはなつことができますように、私を助けてください。 私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。 私の存在に浸み通り私を捕えつくすことによって私の生活のすべてが、 ひたすらあなたの光をかがやかすものとなりますように。 私をあなたの光をかがやかせるものとしてお使いください。 私が出合うあらゆる人々が、 私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、私のうちでかがやいてください。 主よ、人々がもはや私ではなく、あなただけを見ますように。 私の中におとどまりください。 そうすれば私があなたの光でかがやき、 私の光で他の人々もかがやくことができるのです。 主よ、光はすべてあなたからのもの、 ごく僅かの光でさえ、私のものではありません。 あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。 私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を私の唇にのぼらせてください。 言葉でよりも行動で、 私の生き方、あなたから与えられる私のあなたへの愛が、目に見える光となって、あなたを人々にのべ伝えることができますように。 (PHP研究所『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』渡部和子訳) マザー・テレサがスラムの子どもたちのために青空教室を始めた頃、自分の弱さを感じながらも、祈りによって弱さと闘っていたという記述に、強く心を打たれました。 助けてくれる人がいない。 お金がない。 安全の保証もない。 ないないづくしの現実に、不安だけがふくらんでいくようでした。 実際、シスター・テレサはひどい孤独に襲われたこともあります。 当時の日記にはこう書いてあるのです。 「神よ。 今日の孤独は、なんと耐えがたいのでしょう。 私は耐えられるのでしょうか。 涙が止まりません。 こんなに弱い人間だったなんて。 神よ、弱さと闘う勇気をください。 私は間違っているのでしょうか」 小さな体に不屈の闘志を秘めていたテレサではありましたが、その一方ではこういう弱さももっていたのです。 彼女も心細さに震える一人の女性にすぎなかったと言えるでしょう。 しかし、彼女は自分の弱さを感じながらも、逃げることなくその弱さと闘い続けました。 その闘いの唯一の武器は、いつも祈りでした。 「神よ、お助けください。 弱さと闘う勇気をください」そして、神さまは、彼女のその真摯な祈りに応えてくれたのです。 あなたの親切な行為が利己的で、隠れた目的がある行為だと指摘されても親切を続けなさい。 あなたが成功し、偽の友達ができ、本当の敵が現れてもそのまま続けなさい。 あなたが誠実に素直になって、人々に騙されるかもしれなくても、そのまま続けなさい。 あなたが長年で造っていたものを、誰かに一晩で潰されても、造りなさい。 平静と喜びを見つけたあなたは嫉妬されるかもしれないけど、喜びなさい。 あなたの今日の善行は明日に忘れられるかもしれないけど、善行をしなさい。 あなたの最高のものを与えても、決して満足しないかもしれないが、この世に最高のものを与え続けなさい。 だって、 ほら、結局は、あなたと神の間でのことだ。 決してあなたと他の人の間でのことじゃない。

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