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区分:⑤フォッサマグナ

フォッサ マグナ

( 2016年3月) 中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん、: Median Tectonic Line)は、をからへ横断する世界第一級のである。 英語表記から メディアンラインや メジアンラインとも言い、略して MTL とも言う。 注:「中央構造線」は地下の断層の面を地上に延伸した地表トレースの線だけを指すべきだとする意見もあるが、多くの場合、断層自体を指して「中央構造線」と呼んでいるのが実情である。 なお本項では、境界の断層としての「中央構造線」だけでなく、単に中央構造線と呼ばれることもある「 」についても解説している。 中央構造線起因の谷(画像右端)が南北に走る長野県 1885年(18年)にによりその概念が提唱され、1917年(6年)に矢部長克によって構造線の概念が規定された。 中央構造線を境に北側(大陸側)を西南日本の 内帯 Inner Zone 、南側(海溝側)を西南日本の 外帯 Outer Zone と呼んで区別している。 一部はである。 構造線に沿って南北に分布するは、北側(内帯側)は(のが同に高温低圧型を受けたもの)、南側(外帯側)は(白亜紀に低温高圧型変成を受けたもの)である。 長野県には、領家変成帯と三波川変成帯が直に接しているのを確認できるがある (を参照)。 しかし四国においては領家変成帯は(和泉帯)に覆われがちとなり、構造線は和泉帯と三波川変成帯の境界となっている。 領家変成帯には白亜紀のも見られる。 なお、領家変成帯と三波川変成帯のそれぞれを覆う後期の地層の境界をなす断層も、中央構造線だと定義されている。 中央構造線は、九州東部から(長野県)付近まではほとんど途切れずに地表トレースが認められる。 しかし(糸静線)より東の地域では、フォッサマグナのを埋めたのに覆われている。 に大きく隆起しているでは以前のが露出し、その北縁の群馬県に中央構造線が露出している。 では新第三紀や第四紀のに覆われている。 九州中部でも新第三紀後期以後のや [ ]をはじめとする現在の火山におおわれている。 南部からにかけては、中央構造線に沿って約360kmにわたり活動度の高い活断層(を参照)が見られ 、要注意断層のひとつとされている。 中央構造線とのが交差する周辺 形成 [ ] ジュラ紀の末から白亜紀の初め(約1億4千万-1億年前)、日本列島の元となる大地はまだアジア大陸の東の縁であり、そこに中央構造線の原型となる断層の横ずれ運動が起こった。 横ずれ運動はがに対してほぼ平行に北上したために起こり 、より南にあった北海道西部・東北日本・西南日本外帯に当たる部分が北上した。 この運動により、それまで離れて存在していた領家変成帯と三波川変成帯が大きくずれ動いて接するようになった。 この時形成されたのは 古期中央構造線 ( 古中央構造線 、 古MTL とも)と呼ばれている。 また、この断層運動の時期は 鹿塩時階 と呼ばれており 、白亜紀中期にあたると考えられている。 領家変成帯に属する岩石はによって南側に移動し、三波川変成帯に属する岩石に乗り上げた。 断層の角度は極めて低く 、水平に近かったとも考えられている。 白亜紀後期(約7千万年前)は中央構造線の活動が最も顕著であったと考えられている。 この頃イザナギプレートが約45度の角度で北上してユーラシアプレートの下に潜り込んでおり、このため中央構造線は左横ずれ運動を起こし、その北側では岩盤が破壊されて地層が堆積し和泉層群を形成した。 以後、断層運動は変位を繰り返し、新第三紀から第四紀にかけての時期に現在と同じ右横ずれ運動となった。 「中央構造線の再活動」または「地質境界である中央構造線に平行して出現した断層」としてとらえられているこの断層運動 は、 新期中央構造線 ( 新中央構造線 、 新MTL とも)と呼ばれている。 古期中央構造線については関東から九州まで確認することができるが、新期中央構造線は紀伊半島から四国東部・中部にかけてのみ明瞭に確認できるものの他の地域では見つけにくくなっている。 また、新期中央構造線は古期中央構造線の北側にある高角の断層であり、地下数kmの浅い場所で新期中央構造線が古期中央構造線を切っていると考えられている。 各地の中央構造線 [ ] 関東地方 [ ] 中央構造線の東端と推定される北浦周辺 群馬県から北縁にかけて露出している。 では新第三紀と第四紀の堆積層の下に埋まっている。 しかし関東平野中央部での深さ3,000mに達する調査により、埼玉県のやや南方を通っていることが確かめられている。 その東方の通過位置は正確には分かっていないがへ抜けて、 の延長に切られていると考えられている。 中央構造線の南側に沿って分布する三波川変成岩はによく露出しており、埼玉県はその代表的な露出地。 「」も群馬県の地名から名づけられた。 中央構造線の北側に沿って分布する領家変成岩やは、に露出している。 関東東方沖のには、落差2000m以上の「海底崖」と呼ばれるが形成され、崖の南東側には大規模な地形が出来ている。 中部地方 [ ] 中部地方の中央構造線 より東方のフォッサマグナ地域では、新第三紀の堆積岩に覆われている。 南方のからはよく露出している。 を少し東にずれたとの間を南西に向かって走る。 からのでは、がされて明瞭な直線谷の地形を見せる。 領家変成岩やは、や、地方、南部によく露出している。 「領家」は(現・天竜区)の地名を取っている。 しかし、地方ではなどの新第三紀のや堆積岩に覆われている。 三波川変成岩は、西麓、旧北方、南方によく露出している。 茅野から水窪にかけては新第三紀に活発な再活動があったが、第四紀の活動性は低い。 現在のを造っている断層は伊那盆地との境を画するで、本流も伊那谷断層沿いを流れている [ ]。 中央構造線は水窪から次第に西へ向きを変え、に沿ってに入り、以西は西に向きを変え口を通る。 近畿地方 [ ] 近畿地方の中央構造線 中央部を東西に横断する。 伊勢の夫婦岩や、和歌山のの岩石は三波川変成岩。 領家変成岩や花崗岩は、やをつくり、にかけてよく露出している。 しかし、奈良県から西では内帯の中央構造線沿いは白亜紀の断層活動で陥没して堆積した和泉層群(和泉帯)に覆われ、紀伊半島中央部から四国にかけての中央構造線は、和泉層群と三波川変成岩の境界断層になる。 和泉層群はの海岸でよく見られる。 松阪市粥見から西のや、の川床には三波川変成岩が露出しており、中央構造線はその北岸を通っている。 その北方には現在の地形を食い違わせている活断層が見られる。 活断層としての中央構造線は、高見峠より東の三重県側はあまり活発な活動をしていないが、奈良県以西は1,000年間に5m程度動いている非常に活発なA級活断層である。 活断層上に古くから有名ながあるが大地震の記録は無く、前回の地震発生からかなりの時間が経過し、地震を発生するエネルギーが蓄積されていると思われる。 政府のによれば、金剛山地東縁から和泉山脈南縁の和歌山市付近に至る区間が活動すると、内陸型地震としては最大級となる(以下M)8. 0程度のが発生する可能性がある。 6 - 7. 7程度で0. 予測されている巨大地震が発生した場合、や大阪府の南部などで震度7、また、大阪府の中南部を中心とした広い範囲と奈良県の、和歌山県の大阪府との県境沿いなどで震度6強に達するとされている。 なお、活断層の露出は和歌山県内だが、活断層自体が大阪府側へ傾いているため、地震のエネルギーのほとんどが大阪府側へ流れると予測されている。 震度予測で高震度地域がほとんど活断層の北側に集中しているのは、このためである。 構造線は和歌山市からに入る。 和歌山市は近畿地方には珍しく有感地震の多い都市であるが、これらの地震の発生域はやや深く、中央構造線沿いの活断層とは直接の関係はないと考えられる。 紀淡海峡からの間は南岸に沿っていて、三波川変成岩がよく露出すると、顕著なを示す和泉層群のとの間を通っている。 の南斜面にある油谷断層()では露頭が見られる。 四国地方 [ ] 四国地方の中央構造線 から北岸を走ってに達し、川之江・のすぐ南側を通り、砥部町から伊予市双海町を通り、半島北側の沖合を通りに入る。 四国でも中央構造線の基本的な姿は三波川変成岩と和泉層群の境界断層である。 四国では三波川変成岩は広く露出し、徳島の城山、地方から、、佐田岬半島などでよく見られる。 ただしは新第三紀の火山岩である。 地質境界としての中央構造線は吉野川の北岸を通っているが、その北に活断層が見られる。 愛媛県でも地質境界としての中央構造線は砥部町のを通っているが、活断層はを通っている。 四国山地北縁ではナイフで切ったように直線状に山が並び(断層崖)、そのが活断層の見本として各種書籍に取り上げられている。 活動度は1,000年間で最大8mと推定されている。 近年の活動記録が無く、エネルギーが蓄積されていると考えられ、要注意断層である。 ただし、一部は約400年前に動いた可能性がある。 この区間が活動した場合は、M7を超える地震になると考えられる。 九州地方 [ ] 人工衛星から撮影した国東半島(左上)、佐賀関半島(中央下)、四国の佐田岬半島(右上) 中央構造線が地表からも確認できるのは九州東部までで 、中生代末頃の堆積岩や阿蘇山及びその噴出物に覆われている九州中西部では存在が確認されていない。 中央構造線の延長線は、愛媛県松山市から大分県のに延び 、佐賀関半島との間を通っているのは確実視されている。 しかし堆積岩や現在の活火山に厚く覆われている九州中部では存在が確認されていない。 九州において中央構造線に「相当」するのは臼杵-八代線である(矢部, 1925 .しかし,臼杵-八代線は中央構造線の「延長」というわけではなく,位置的には四国の御荷鉾構造線の延長にある.矢部 1925 は九州における中央構造線に関連するものとして, 松山-伊万里線(・・・・)、 大分-熊本線(・・・・阿蘇山)、 臼杵-八代線(臼杵・・の北側・熊本県南部)を議論した。 大分-熊本線は阿蘇山からの噴出物などに覆われて位置がはっきりしない。 臼杵-八代線の北にあたる佐賀関半島には三波川変成岩がよく露出していることから、中央構造線はそのすぐ北を通っているとみられており 、中央構造線を追跡できるのはここまでである。 政府の地震調査研究推進本部は、中央構造線と連絡しているのは大分-熊本線( 大分-熊本構造線)と臼杵-八代線( 臼杵-八代構造線)だと説明している。 臼杵-八代構造線が九州における中央構造線に「相当」し、臼杵-八代構造線以南が西南日本外帯に、構造線の延長線を含めてその北西が西南日本内帯に分けられる。 あるいは、臼杵-八代構造線の北側を〜九州地域、南側を地域と分けて定義される。 臼杵-八代構造線の南には、平行してが通っている。 を引き起こした断層帯の一つであるは、熊本県付近で臼杵-八代構造線を切っていると考えられている。 地震調査研究推進本部の長期評価において、日奈久断層帯は3区間に分けられているが、そのうちの日奈久区間(熊本県豊野町山崎から同の御立岬付近までの長さ約40km) 付近に八代市がある。 2015年の日本地質学会学術大会において、日奈久区間の八代市付近以南 が臼杵-八代構造線の延長であって、臼杵-八代構造線が鹿児島県の沖にまで延びている可能性がある旨が報告されている。 現在の九州中部は南北に伸張しており、引っ張りによる断層が発達し(、布田川・日奈久断層帯)、阿蘇山やのマグマの通り道をつくっていると考えられている。 地震活動との関連 [ ] 以降の活動歴は、地震が活発な地域と比較すると少ないが、下記のようなM6から7クラスの地震が発生している。 近世以前の地震 ・ - M 6. 5 - 7. 5 慶長伊予・豊後・伏見地震 「」を参照 (慶長地震とも)は、9月1日、愛媛県の中央構造線・川上断層セグメント内(震源については諸説ある)で発生した。 規模はM 7. さらに、3日後の9月4日には、を挟んで対岸の大分県で(別府湾地震) M 7. 0 - 7. 8 が発生。 豊後地震の震源とされる別府湾-日出生断層帯(の一部)は、中央構造線と連続あるいは交差している可能性がある。 さらにその翌日の9月5日、これらの地震にされたと考えられる(慶長伏見大地震) M 7. 0 - 7. 1 がで発生。 、或いはにおける地震とみられる。 近世以降の地震• 1619年(元和5年) - M 6. 1649年(慶安2年)3月13日 - M 7. 0前後• 1703年(元禄16年) ・庄内 - M 6. 1718年(享保3年) 、 - M 7. 0前後• 1723年(享保8年) - M 6. 1725年(享保10年) ・ - M6. 0から6. 1889年(明治22年) - M 6. 1894年(明治27年)-1895年(明治28年) - M 6. 1895年(明治28年)1月18日 茨城県南部 - M 7. 1916年(大正5年) 付近 - M 5. 1916年(大正5年) 熊本県中部 - M 6. 1975年(昭和50年) 阿蘇北部 - M 6. 1975年(昭和50年) 大分県中部 - M 6. 2016年(平成28年) - M 7. 3 中央構造線断層帯 [ ] 前述のとおり、近畿南部(金剛山地東縁)から四国の伊予灘にかけては、中央構造線に沿って、上下方向のずれを伴った右横ずれ運動を特徴とする約360kmの長大な断層帯が延びている。 また、政府の地震調査研究推進本部は九州東部・大分県の別府湾や周辺における活断層についても2017年にこの断層帯の一部と認定している。 地質境界としての中央構造線と、地表にその活動の痕跡を残している活断層たる中央構造線とは、必ずしも位置が一致しない。 これらの断層は 中央構造線活断層系や 活断層としての中央構造線と呼ばれている。 中央構造線活断層系の地震評価のみを行なっている地震調査研究推進本部はこれを 中央構造線断層帯と呼んでいる。 中央構造線と中央構造線活断層系とは、で約7kmと最も離れている。 なお、「中央構造線」という呼称は地質学的な境界を指すが、前述の中央構造線に沿う活断層を指して「中央構造線」と呼ぶこともあり、注意を要する。 活断層としての中央構造線について、以後、地震調査研究推進本部に倣って「 中央構造線断層帯」(ちゅうおうこうぞうせんだんそうたい)と呼称する。 中央構造線に沿った断層帯の存在は、1967年頃には空中写真の分析によって発見されていた。 その後の調査により、活断層の存在を示唆する地形に沿って断層に由来する露頭や破砕帯が見つかり、活動の規模や時期も確認され、1970年代の末頃には中央構造線断層帯の位置や活動を概ね確認することができた。 1980年代以降も大学や地質研究所などによって様々な場所での調査が続けられている。 地震調査研究推進本部も全国的な地震動予想のために1999年から各地での調査を開始しており、中央構造線断層帯については2003年に長期評価を公表した。 その後、2011年2月18日に長期評価の改訂版を発表している。 中央構造線断層帯は活動していた時期などによって6区間に分けることができる。 2011年の改訂版においては、断層帯の過去の活動状況と今後発生が予想される地震の規模は以下のとおりとされた。 金剛山地東縁(奈良県から五條市付近まで)では、約2,000年前からの間に直近の活動があった。 平均して約2,000-14,000年おきに活動しているとみられ、将来的にM6. 9程度の地震が予想される。 1回のずれの量は1m程度(上下成分)と見込まれる。 和泉山脈南縁(奈良県五條市から和歌山市付近まで)では、からの間に直近の活動があった。 平均して約1,100-2,300年おきに活動しているとみられ、将来的にM7. 6-7. 7程度の地震が予想される。 1回のずれの量は4m程度(右横ずれ成分)と見込まれる。 紀淡海峡-鳴門海峡(和歌山市付近またはその西の紀淡海峡から鳴門海峡まで)では約3,100年前から約2,600年前の間に直近の活動があった。 平均して約4,000-6,000年おきに活動しているとみられ、将来的にM7. 6-7. 7程度の地震が予想される。 ずれの量・成分とも不明。 讃岐山脈南縁-石鎚山脈北縁東部(石鎚断層とその東の部分)ではに直近の活動があった。 平均して約1,000-1,600年おきに活動しているとみられ、将来的にM8. 0程度またはそれ以上の規模の地震が予想される。 1回のずれの量は6-7m程度(右横ずれ成分)と見込まれる。 石鎚山脈北縁(岡村断層)でも16世紀に直近の活動があった。 将来的にM7. 3-8. 0程度の地震が予想される。 平均して約1,000-2,500年おきに活動しているとみられる。 将来的にM7. 3-8. 0程度の地震が予想される。 1回のずれの量は6m程度(右横ずれ成分)と見込まれる。 石鎚山脈北縁西部-伊予灘(川上断層から伊予灘・佐田岬北西沖まで)でも16世紀に直近の活動があった。 平均で約1,000-2,900年ごとに活動しているとみられる。 将来的にM8. 0程度またはそれ以上の規模の地震が予想される。 1回のずれの量は2-3m程度(右横ずれ成分)と見込まれる。 伊方原子力発電所近くの活断層 [ ] 伊方発電所(伊方原子力発電所) 1996年、などの研究グループによる、伊予灘海底にある中央構造線断層帯の調査によって、愛媛県のの間近の海底に活動度の高い活断層2本が発見された。 ここでは約2000年おきにM7前後の地震が起きると考えられており、M7. 6の規模の地震も起きる可能性がある。 伊方原発の安全審査が不十分だとして地元住民が原子炉設置許可の取り消しを国に求めた訴訟では、2000年12月にが原告の請求を棄却したが、その際にこの活断層について国の安全審査の判断が誤っていた可能性に言及した。 原発の運転差し止めを求める訴訟は各地で起こされているが、活断層に関する国の判断の誤りについて指摘されたのはこの時が初めてであった。 伊方原発と活断層との距離は約6kmであるが、活断層調査にあたった高知大教授・岡村真によれば、もし伊方原発に最も近い活断層で、あるいは中央構造線断層帯全体が一度に動いて、予想される最大規模のM8の地震が起きた場合、原発周辺は震度7の揺れに見舞われる可能性があるという。 観光関連 [ ] 大鹿村の中央構造線北川露頭 長野県の流域ではがよく観察できる。 断層の西側は主に領家帯に属する(領家花崗岩類・変成岩類に由来)で、東側は三波川帯に属した結晶片岩となっている。 とは、であった が、2013年10月に「 大鹿村の中央構造線(北川露頭・安康露頭)」として国の天然記念物に指定された。 2007年(平成19年)には、大鹿村の中央構造線がに選定された。 近隣にはがある。 三重県飯高町月出には中央構造線の中でも特に大規模な露頭(月出露頭)があり、日本国外からも研究者が訪れている。 ここでは西南日本内帯に属するマイロナイトと西南日本外帯に属する黒色変岩との間にある断層を確認できる。 2002年(平成14年)に「 」としてに指定された。 また、2007年に日本の地質百選に選定された。 中央構造線沿いにはとして認定された地域がある。 長野県のは2008年(平成20年)12月にに認定された。 群馬県下仁田町は関東地方で最も中央構造線を観察しやすい地域であり、中央構造線の一部をなす川井の断層(大北野-岩山断層)をジオサイトの一つとする が2011年9月に日本ジオパークに認定された。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• かつては 中央線、 中央裂線、 中央変位線とも呼ばれていた。 鹿塩(かしお)時階の名称は長野県大鹿村の地名に由来している。 三波川帯と領家帯のように、地質体が低角の逆断層によって数十kmから百kmの距離を移動して重なった構造は ()構造と呼ばれる。 棚倉構造線 Tanagura Tectonic Line は棚倉断層とも呼ばれ、茨城県から福島県にかけて存在している。 八溝帯と阿武隈帯を分ける、長さ約60kmの横ずれ断層である。 日奈久区間の南は、御立岬付近から八代海南部にかけて延びる、長さ約30kmと推定される八代海区間である。 ほか、 では MTL断層帯とも表記している。 では、地質境界としては 狭義の中央構造線、活断層としては 中央構造線活断層系と呼び分けている。 出典 [ ]• 218-225、 2017年1月14日閲覧。 (参照ページ:p. 221)• 山下, 昇「」『地質学雑誌』第99巻第1号、日本地質学会、1993年、 47—69、 :。 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2016年3月27日閲覧。 , p. 高橋雅紀「 」 『GSJ地質ニュース』第5巻第8号、産業技術総合研究所地質調査総合センター、2016年8月、 pp. 244-250、 2017年1月14日閲覧。 (参照ページ:p. 248)• 大鹿村中央構造線博物館. 2016年3月30日閲覧。 大鹿村中央構造線博物館. 2016年3月30日閲覧。 地震調査研究推進本部. 2016年3月30日閲覧。 地震調査研究推進本部 2011年. 2016年3月30日閲覧。 「 」 『地震本部ニュース』、地震調査研究推進本部事務局、2011年4月15日、 8-9頁、 2016年3月30日閲覧。 , p. 264. 134, 194, 199(図4). 日本経済新聞 2016年4月22日. 2017年1月8日閲覧。 255. 1086. , pp. 70, 194, 201(図6). , pp. 7-8. 高橋雅紀「 」 『産総研TODAY』第6巻第5号、産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2006年5月、 20-21頁、 2009年10月7日閲覧。 , pp. 4-5. 新妻信明. 日本地球惑星科学連合 2001年大会予稿集. 2011年6月9日閲覧。 [ ]• 2011年2月19日. 2011年2月21日閲覧。 [ ]• 地震調査研究推進本部地震調査委員会 2011年2月18日. 主要活断層帯の長期評価. 地震本部. 2016年3月30日閲覧。 2、 2016年4月25日閲覧。 矢部, 長克「」『地質学雑誌』第32巻第381号、日本地質学会、1925年、 201—209、 :。 , p. , p. 地震調査研究推進本部 2013年2月. 2016年4月25日閲覧。 古澤美由紀「 」、鹿児島大学(博士(理学)論文)、2012年3月15日、 、 2016年4月24日閲覧。 (図3-13 九州におけるグリーンタフ及び瀬戸内系火山岩類の分布)• 松本征夫「 」 『アーバンクボタ』第22巻、クボタ、1984年4月、 p. 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" 昨年公表された岡村真・高知大教授(地震地質学)らによる伊予灘の海底活断層調査で、伊方原発前面海域に最も活動度の高いAクラス活断層二本が確認された。... 高知大グループの調査では、二千年間隔でマグニチュード M 6・8〜7・2、最悪の場合は7・6の地震を起こす可能性もある。 朝刊: p. 24 社会. 2000年12月16日. この不安が、十五日判決の四国電力伊方原発2号機訴訟でも主な争点だった。... 中央構造線のそばにある伊方原発も、当初から震災が不安視されたが、岡村真・高知大教授が原発沖に活断層を発見したと発表したことで、論議は一気に熱を帯びた。... 読者談話 伴英幸・原子力資料情報室共同代表の話 新しい活断層が見つかったことを取り上げ、それまでの安全審査の判断が誤りであったと踏み込んだ...。 同様の訴訟で初の判断...。 2006年3月25日. の2013年6月12日時点におけるアーカイブ。 2016年3月30日閲覧。 高知新聞 朝刊. 2003年2月13日. 長期評価は、中央構造線が全区間で同時にずれればM8以上の地震になると分析。 個別にずれても、四国では... 石鎚山脈北縁西部-佐田岬北西付近に至る区間... もM8以上と指摘した。... 中央構造線の断層から最も近いところで約六キロしか離れていない愛媛県の伊方原発の安全性。 岡村教授も同原発の周辺は「震度7クラスになる」とみる。... , pp. 16-17. 南アルプス(中央構造線エリア)ジオパーク 2013年6月26日. 2019年4月22日閲覧。 文化遺産オンライン. 文化庁. 2016年3月27日閲覧。 建設通信新聞 日刊建設通信新聞社. 2007年5月10日. " 全国地質調査業協会連合会... は、「日本の地質百選」として83カ所を選んだ。... , pp. 213. 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中央構造線

フォッサ マグナ

フォッサマグナ 本州中央部を南北に横断する地溝帯をフォッサマグナといいます。 フォッサマグナは大きな溝という意味でナウマンの命名によるものですが、現在でも日本語で表現することなくそのまま使われています。 フォッサマグナは日本列島や日本海の形成を通じて、日本列島の基礎となる古生層や中生層に割って入った断裂帯であって、その始まりは中生代まで遡ります。 陥没に始まった深い断裂帯は海底での火山の噴火やその後の上昇を経て陸化しました。 断裂帯の内部は新生代新第三紀の海成層(海域で堆積した地層)や火山性の堆積物で充填されています。 なお、秩父を含む関東山地はフォッサマグナの中に取り残された古い地層であり、島のように残っています。 新生代第四紀に入ってからもこの断裂帯の中で箱根火山、富士山、八ヶ岳、浅間山、苗場山、焼山などが噴火して山体を形成しています。 さらに、この火山列の南側延長は伊豆諸島・小笠原諸島を経てマリアナ諸島へと連なっています。 フォッサマグナの西縁は糸魚川-静岡構造線(糸静線)です。 糸静線の西側には日本列島を構成する代表的な古生層や中生層が分布していますが、糸静線はこれらの地層ばかりでなく中央構造線さえも切断しています。 糸静線を境にして地質学的な性質が劇的に変化しており、東北日本と西南日本という大きな地質境界となっています。 糸静線はいくつもの活断層を含んでおり、松本付近の牛伏寺断層は活動度や発生周期から考えて最も危険な活断層とも言われています。 フォッサマグナの東縁は火山噴出物で被われていてはっきりしませんが、柏崎-銚子線が東縁に相当すると考えられています。 新潟県糸魚川市にはフォッサマグナミュージアムという博物館があります。 にリンクします。 フォッサマグナ• フォッサマグナ.

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区分:⑤フォッサマグナ

フォッサ マグナ

青線に囲まれた薄い赤色の地域がフォッサマグナ赤線が フォッサマグナ(: Fossa magna、 意味:大きな溝)は、の主要なの一つで、においてはとの境目となる地帯。 中央地溝帯(ちゅうおうちこうたい)、 大地溝帯(だいちこうたい)とも呼ばれる。 端的に言えば、古いでできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に新しい地層が溜まっている地域である。 中央部、からにかけての地域を縦断位置する。 西縁は(糸静線)、東縁は新発田小出構造線及びとなるが、東縁には異説もある。 フォッサマグナはしばしば糸静線と混同されるが、フォッサマグナが「面」であるのに対し、糸静線はフォッサマグナの西端の境界を成す「線」である。 概要 [編集 ] フォッサマグナの西側を西南日本、東側を東北日本という。 この大きな地質構造の違いは通常のの運動などでは到底起こり得ないことで、大規模なが関係していることを示している。 但し、発表論文「日本群島の構造と起源について」のなかで同じものに "grosser Graben der Bruchegion" との表記も使用している が、翌には Fossa Magna(フォッサマグナ)と命名した。 この論文はに初発表され、論文名に初めて「フォッサマグナ」が登場した。 彼は山系からやを眺望した際、巨大なの存在を思いついたとされる。 フォッサマグナ内部の地層がしていることはの『』において、陸地の分裂・衝突の証拠として紹介された。 しかし、ナウマンの考えたフォッサマグナは、伊豆地塊が日本に接近したことでが割れた「裂け目」であった。 一方では、旧富士火山帯とほぼ同一のラインでシナ地塊とサハリン地塊(シベリア地塊)が衝突してできたものだとする富士帯説を発表、両者の間で激しい論争となった。 その後フォッサマグナ説が大方支持されるようになっていった。 しかし、ナウマンが考えていたフォッサマグナの東縁は新潟県と神奈川県を結ぶラインであったが、新潟県と千葉県を結ぶラインも提唱されるようになった。 そして、にはが柏崎と千葉県を結ぶ「信越房豆帯」説を発表、に加藤芳輝が柏崎から銚子のラインの北部を修正した新潟県と銚子を結ぶラインを発表した。 後に北部を大きく修正した新潟県と同県を結ぶライン(新発田小出構造線)が提案された。 このように、東縁については諸説出ており現在も結論は揺れ動いている。 東縁が諸説出た背景には、フォッサマグナ南部の関東山地(長野県南東部・山梨県・埼玉県西部・東京都西部・神奈川県北西部)に西南日本や東北日本と同じ年代の地層を含む山塊がぽつんと取り残されて存在していて、混乱が生じたことが挙げられる。 この山塊は後述のように、フォッサマグナが開いてから再び閉じる間に西南日本か東北日本から切り離されて、フォッサマグナの新しい地層とともに圧縮され一体化したものと考えられている。 地学的知見 [編集 ] 現在の理論ではフォッサマグナはとの境界に相当するとされる。 の前後までは、中部の付近が両プレートの境界と考えられていたが、地震を契機に日本海東縁部〜フォッサマグナを境界とする説が広く支持されるようになった。 フォッサマグナの厚さは、地下約6,000(平野部) - 9,000m(山地)にも及ぶ。 これより深い所はとよばれ、西南日本や東北日本と同じ地層の並びになっていると推定されている。 フォッサマグナ本体はのとによって埋積されている。 で見ると、年代の異なる地層の境界がU字型に形成されている。 フォッサマグナ北部では層のによって生じた地形が際立って目立っている(、など)。 また、褶曲に伴って形成されたと考えられるやの埋蔵も多い。 一方、南部ではによって運ばれ、日本列島に衝突した地塊が含まれる(、など)。 また、フォッサマグナの中央部を、南北にの列が貫く。 北から、、、、、、などである。 これらの成因の1つとして、フォッサマグナの圧縮によってできた断層にが貫入して、地表に染み出やすかったことが考えられている。 西縁の糸魚川静岡構造線上および東縁の一部と考えられている群馬県太田断層 では、マグニチュード7規模の地震が繰り返し発生している。 北部フォッサマグナの東側(信越地域:長野県北部から新潟県頚城地域)には、大峰面 と呼ばれるの70万年前に海岸平原であったとされる頃に形成された花崗岩質の礫及びシルトによる平坦な地形が広がっていた が、その後の地殻変動により浸食され現在は、標高900m前後の山々に痕跡が残る。 フォッサマグナの誕生 [編集 ] 「」も参照 この地域は数百万年前まではであり、が移動したことに伴って海のがし現在のような陸地になったとされる。 原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的に存在して、に近い位置にあったと考えられている。 約2,000万年前に、プレートのに伴うの形成が始まった。 背弧海盆とは、沈み込んだプレートがマグマとなって上昇し、の内側のプレートを押し広げてできるものであるが、これによってが現在のように広がり、日本列島もアジアから離れていった。 ただ、日本近海の海溝は向きが異なるとの2つだったため、日本列島は中央部が真っ二つに折られる形でアジアから離れた。 折れた原始日本列島の間には日本海とをつなぐ海が広がり、にあたる数百万年間、やなどがしていった。 そして数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。 この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられている。 火山 [編集 ] フォッサマグナの「面」に属する活動中の火山を挙げると、北(日本海側)から南(太平洋側)へ順に、、、、、が列んでいる。 脚注 [編集 ] []• :構造地質学的にみたフォッサ・マグナの問題点:その歴史と現状 地質学雑誌 Vol. 82(1976) No. 7 P. 489-492• , 久保純子『日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語』、2017年、59頁。 978-4-06-502000-5。 熊原康博、「」『日本地理学会発表要旨集』 2013年度日本地理学会春季学術大会 セッションID:S0804, :• 産総研 活断層・地震研究セミナー 第17回 9月26日(金)• 仁科良夫、「」『日本地質学会学術大会講演要旨』 第100年学術大会(93東京), p. 319, 1993-03-25, :• 衣笠善博、「」『地學雜誌』 1990年 99巻 1号 p. 13-17, 東京地学協会• 木村純一、「」『地質学雑誌』 1987年 93巻 4号 p. 245-2577, :, 日本地質学会 参考文献 [編集 ]• 山下昇編著『フォッサマグナ』、1995年。 9784486013235。 関連項目 [編集 ]• 外部リンク [編集 ]• (大鹿村中央構造線博物館)•

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