デンタル サポート 寒竹。 たくさんのご応募ありがとうございました! 口腔ケア情報サイトのマスコットキャラクターの名前「ハニィ」に決定!

寒竹歯科医院|稲毛海岸駅から徒歩1分|土日も診療

デンタル サポート 寒竹

開業まで 歯科医師を目指した経緯を教えていただけますか? 父が歯科の開業医で私は長男でした。 長男は歯科医になって跡を継ぎ、次男は医師に、というのが子どもの頃からの決まり事のように暗黙の了解となっていました。 私の生まれは東京都墨田区の吾妻橋(あづまばし)という所なのですが、10歳頃から千葉県船橋市の北習志野に移り、大学の4年生までそこに住んでいました。 大学も日本大学の松戸歯学部ですから、地元と言って良いと思います。 学生時代に印象に残ったエピソードをお聞かせいただけますか? 高校生の時から始めた硬式野球を大学でも続け、在学中はキャプテンに、卒業後、ヘッドコーチを経て監督にまでなりました。 あくまで歯学部内の野球部ですから同好会みたいなものですけど。 他には、技工に燃えましたよ。 歯科医師になるには技工を知らないといけない、という事で。 実際の患者さんを削って型とって合わせて。 全部自分で作るんですよ。 それで症例の実技実績が1個認められます。 学年で症例数1位でした。 160人以上いるんですけど。 夜中の2時3時までやるんですよ。 空気も悪いし、体壊して入院してしまいました。 開業してからも3年目に入院しましたけど。 制御が利かなくて常に突っ走ってしまうんですね。 負けず嫌いというか。 歯科は臨床よりも技工が大変なんですよ。 模型を作ったり、咬合器というものに付けて角度を見たり、金属を鋳造する為の型を作ったりします。 その型を作るのが難しいのです。 蝋で作って金属を流し込むというのが。 プロがやれば何の事はないんですけど学生にとっては。 でも今の学生さんは患者さんの口の中をいじらないですよ。 昔と違って。 大学を卒業されて、大学院に進まれたのですね? その頃、開業する気は全く無かったんですよ。 大学に残って研究して、その後アメリカにでも留学し、アカデミックな事をやりたいと思っていましたね。 実際にはむし歯のワクチンの研究をしたんですよ。 主任教授に「フロリダ大学に留学しないか?」って言われまして、ほとんど行く気になってたのですが、夢見が悪くて。 何か寝起きが悪いんですよ。 「やる事違うんじゃないの?」というメッセージが聞こえてくるような 笑。 それで180度方向転換して開業したのが昭和62年です。 大学院は4年間ですから学生を10年やって1年間助手になったんですよ。 育ててくれた大学へお礼をしたいという気持ちからですね。 後から聞くと私は学生に何でもやらせる事で有名だったらしいですよ。 とにかくもう「やっとけ」と。 そういうインストラクターって少ないんですよ。 学生がミスをすれば全部自分の責任になりますから。 それでも私は何でもやらせていました。 とにかく燃えていましたね。 その当時は大学の3本柱である教育にも臨床にも研究にも燃えていました。 そこから一気に開業する事になってしまったんですけどね。 ワクチンの研究をされていたとの事ですが、一般歯科の臨床経験の方は? 大学とアルバイトでの経験しかないです。 だから特に矯正、インプラント、難しい歯科の手術といった事はほとんど経験なく、いきなり開業してしまいましたね。 難しいケースはほとんどないから、という訳で治療のスキルという意味では最低限で開業しました。 29歳の時です。 「開業しよう」というキッカケは何だったのですか? 卒業後、大学に5年も残っていると色々マイナス面も見えてきて。 学生の時は見えなかったんですが。 だったら開業して別の世界に飛び出して行った方がいいと思いましたね。 その当時は株式会社作るなんて全然考えてなかったですけれども。 とにかく外の世界に飛び出して、自分の可能性を試してみたいと思いました。 場所はどちらだったのですか? 千葉市美浜区の稲毛海岸です。 その頃から歯科医院は飽和状態でしたから、大体1日の患者さんの数が15人ぐらいでしたね。 週休2日(水・日)取って診療時間は19時まで、と診療時間が短めだった事もありますが。 15人位で収支トントンなんですよ。 だから開業した意味が全然ありませんでした。 開業したのは5月ですが10月から夜間診療を始めたのです。 平日の診療を21時までに延ばしました。 診療では小児歯科に力をいれました。 診療の度に嘔吐する子、駆けずり回る子、おしっこを漏らす子など、他では診てくれないような子も診ていました。 お母さんが子どもを兄弟で連れてくる事が多かったので、女性スタッフに下の子をおんぶさせ、上の子をお母さんが羽交い絞めにして、お姉ちゃんを診る、というような事もしました。 患者さんのことを思えばすべて当然の事なのですが、当時の歯科では意識がそこまでいたらなかった医院が多かったのでしょうね。 自分が開業した歯科医院では仕切りも何も無い状態でユニット3台並べて診療してましたから、患者さんからも医院の中が見渡せるんです。 すると他の子のお母さんが泣いてるんですよ。 感動して。 「そんな事までやってくれる歯医者さんはいない」って。 それに、子どもの診療を丁寧にやると親が見ていて、子どもが痛がらないとその親御さんも通院してくれるようになりました。 それで1年経って1日40~50人。 今でも覚えてるのが、全くの新患が毎月120人来た事があります。 それで急に忙しくなりました。 やっぱり患者さんを感動させるというか、心のつながりを持つというのが重要なんだと、あらためて思いました。 会社設立 それで現在のデンタルサポートに繋がる「 株 アイ・ケー・コーポレーション」を平成元年に立ち上げる訳ですね。 設立のきっかけは?医療法ではできないことにチャレンジしたくて立ち上げたMS法人です。 設立当初は技工だけをやっていました。 但し実際の設立は平成10年ですね。 本格的な株式会社としてデンタルサポートにしたのは。 そのデンタルサポートにした時には、訪問歯科をメインに? 逆です。 平成9年に医療法人で訪問歯科を始めたんですよ。 3年位前からニーズがある事は分かってましたから。 但しハイリスクだったんですよ。 我々にとっても患者さんにとっても。 だから行政を絡めてやろうと思ったのですが、スピードや考え方が合わない部分があり、自分達で訪問診療専門チームを作って始める事にしました。 歯科医師、歯科衛生士、ドライバー、後その頃は歯科助手も加え四人一組で。 それが県下初だって事で朝日新聞に取り上げられて、利用が一気に広がりました。 その頃から上場できないかと自分でも意識し始め、本格的な株式会社であるデンタルサポート設立に繋がったんですよ。 外部の資本も入れて。 だから本格的な株式会社になったのは、平成10年の12月です。 そこから紆余曲折を経ながら今に至る訳です。 先程からのお話だと最初から順調だったのですか? いや、もう良かったのは最初だけで実に色々ありました。 大手の介護会社に買収されそうになった事もあれば、役員が引き抜かれたり、歯科医師がまとまって辞めてしまったりしたんですよ。 歯科医師がいなくなったら診療できないですから、それは痛いですよ。 経営的にはキャッシュ(現金)不足に苦しんだ時期もありました。 そんな感じでデンタルサポートを作ってから3年間、平成13年の秋位までスッタモンダが続きました。 その頃はもう、今思い出しても大変でしたね。 だから今でも色々な事が起きますけど、多少の事は平気ですよ。 まずお金が無いって事の辛さというか恐怖感。 そして歯科医師がボロボロ辞める事。 そして組織が信頼関係で繋がってないと脆いという事。 その3年間で学びました。 いい勉強になりましたね。 ストレスで体調を崩して仕事にならず、会社がほとんど機能しなくなった時期もありました。 それをどういう風に切り抜けたのか自分でも分からないですよね。 自分自身診療に出たって事はありますね。 週に3日位現場に出たんですよ。 そうしている内に現場が段々収まってきたんですよ。 ま、それもありますけど、不思議ですよね。 神風吹いたって言うか。 銀行も支援してくれたり。 平成13年の終わり頃から平成16年位まで安定期に入りましたね。 業績は少し伸びてましたがそれほど拡大路線でもなく。 平成16年にまた、上場しようと言う事で動き出しました。 結果的には延期になりましたが。 今は色々積極的にやろうと思っています。 保険点数の改正が今年の4月にありましたが、その影響もどうにか払拭されましたし。 この後3年半位は大きな点数改正ないですから。 今度は医科の方の在宅分野に出て行きたいし、エリアも九州に出す事を考えています。 技工所もいい所があれば買収も考えたいですね。 事業のポイントと難しさ 今やってらっしゃる事業の一番のポイントは? スタッフの確保に尽きますね。 市場はあるし、患者さんからの需要も確実にあるのだから、患者さんに対しては「丁寧にしっかりやる」に尽きる。 しっかりやる為のスタッフ、特に資格者である衛生士と歯科医師。 特有の価値観があるんで、給料も必要だが給料だけではない。 医科をやっても医師や看護師の確保が難しいと思うんですけど。 その辺をどうやって確保していくか。 条件ももちろんありますけど、条件だけではない。 遣り甲斐だとか。 そういう価値観がちょっと違うんで。 最終的にはウチのグループのブランド化が重要です。 ウチにいる事自体が業界でステータスになるようなブランド戦略だと思いますね。 本の出版や国の研究機関と組んでの基礎研究などもやっています。 そういうベーシックな部分の差別化から始めて、上場できるなら上場して。 業界で今までやっていない分野ばかりですから。 後は将来のビジョンですかね。 そのビジョンを聞かせていただけますか? 医科も歯科も医療機関(医療法人)をグループ化していきたいですね。 グループ傘下の医療法人を増やしていきたい。 その中で、株式会社では健康や予防、介護といった分野で。 更にグループ医療法人の経営支援、資金調達支援、歯科で言えば技工、材料、レセプトと言った周辺部も会社の方でやっていきます。 医療法人と株式会社を合わせ、在宅医療を切り口に予防からターミナルケアまで、介護も含めて医科と歯科トータルで手がけていきたい、と考えています。 この事業の難しさは? もう専門職のスタッフ確保と定着率の安定ですよ。 専門職の本質は専門職の者にしか理解できない。 組織は人で成り立っていますから、気持ちをまとめられることが大切です。 組織を分けているのはそのためです。 一つの形、ピラミッドでは絶対に収まりつかないですから。 組織を分けて、しかも「グループ」という意識を持たせていかないと。 その上で、一つの方向性を持たせないといけません。 メッセージ 若い歯科医師にメッセージをお願いします。 当グループの理念の為に力を貸してください、という事ですね。 ウチに来たら特別いい研修システムがあるとか、特別条件で迎え入れますよ、って事ではなく、「やりがいを提供できる」組織だと思っています。 予防からターミナルケア、介護までのトータルケアを目指しているグループなので、力を貸してください、と。 そしてものすごく職種の幅があります。 研究だけやりたいって入ってきた歯科医師もいますし、マウスピースを全国に拡げていきたいと入ってくる人もいます。 健診程度だったらやってみたいって入ってきた歯科医師もいます。 衛生士ではもっとセミナーをやるだとか。 口腔ケアをやるだとか、外来をやるだとか、普通の開業医よりも歯科医師も衛生士も職種の選択肢がある所ですね。 プライベート プライベートでは、学生時代に腕を鳴らした野球をなさるんですか? もう野球はしませんね。 ソフトボールも。 今は山ですね。 マウンテンバイク(自転車)ですとか、普通に山に行ったり。 日本全国、大体登りました。 4年ほど前にアウトドアに目覚めて、役員も無理やり山に連れて行くんですけど。 自転車を買わせて。 キャンプに行ったり、たまに釣りをやったり。 4駆(自動車)のオフロードレースにも出ています。 先生独自の健康法は? 食事と運動と早起きですかね。 今日も3時半起きですよ。 経営者が集まって勉強をする会に入会しているんですが、その早朝のセミナーで今日は講師をしました。 後は自然と触れて運動やるって事ですね。 酒はほどほどにして。

次の

2014年11月20日 放送 デンタルサポート社長 寒竹 郁夫 (かんたけ いくお)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京

デンタル サポート 寒竹

「そこまで調べてるんだ。 もしそうだとしてもノーと言います。 ウソをつきます。 それはなぜかというと義理人情。 従業員を張りつかせて選挙応援したって数十万。 その件に関してはノーだと言うけど、あったとして、あげつらって、国難のときに意味がある? 野田は守るから、友情で。 検察に言われても、俺はあいつを守る。 検察にしょっぴかれようが、吐かないけど。 一国の総理の後援会長だよ。 そのくらいの根性じゃなければ」 これは「週刊文春」の巻頭「退職勧告スクープ 野田首相後援会長(医療グループ・オーナー)は社会保障費21億円を詐取していた」の中の、医療グループオーナー寒竹郁夫の言葉である。 文春は野田首相に「消費増税を行う資格なし」とまで言い切っている。 うち21億円が不正か 文春の連続スクープが途切れない。 今週は日本のリーダー野田佳彦首相と刎頸の交わりのある人間のスキャンダルを暴き、鋭く野田の責任を追及している。 寒竹と野田は船橋高校時代の同級生で、千葉県議に当選した野田と再会して、以来20年にわたって寒竹は支援を続けてきた。 昨年(2011年)12月3日。 野田首相は忙しい合間を縫って政経倶楽部というところで講演したが、この倶楽部の初代理事長で現在はファウンダーを務めるのが寒竹である。 野田首相は総理に就任した2か月後に開かれた天皇、皇后主催の秋の園遊会にも、首相枠で寒竹を推薦し出席させている。 彼は訪問歯科診療をサポートする「デンタルサポート株式会社」(以下DS)の社長だ。 訪問歯科診療とは、要は歯医者の出前である。 歯科医、歯科衛生士、コーディネーターの3人でチームを組み、患者の自宅や介護施設を訪問して診療する。 医療保険から診療報酬が医療法人に支払われ、DSは診療1件ごとに約4000円のサポート料を得る仕組みだそうである。 寒竹は街の歯科医だったが、訪問歯科診療に着目して売り上げを伸ばし、現在は年商約86億円になっている。 だが、DSグループの元中枢幹部は「この売り上げには見逃すことのできない不正があるのです」と告発する。 訪問診療では、診療時間が20分を超えると1軒家なら850点、老人ホームなどは380点が加算されるが、20分以内では初診でも218点、再診では42点しか加算されないのだ。 20分を超えるか否かで最大8000円以上の差が出るという。 DSグループでは20分以内で診療を終えても、20分を超えたことにして高い診療点数を請求する不正が横行しているというのだ。 事実ならば刑事事件に発展する悪質行為である。 取材していくと、寒竹は「ノルマ」を達成するよう、以下のような文書を出していた。 「各医院の勤務医の先生は、院長の管理のもとで点数算定方法を再確認し、平均点数が1100点となるようにして下さい」 DSグループの元中枢幹部は「組織として当たり前にやっていたということです。 (中略)ただ、昨年くらいから幹部会議でも問題視され始めました。 寒竹は株式上場を目指し、社内でもコンプライアンスを求める声が高まっていった」と語る。 だが、これほどおいしいやり方をやめるわけにはいかなかった。 3年前にDS内部で、不正請求をやめた場合にどれぐらい売り上げが減るかを試算したら、年間21億円という数字が出たからである。 この幹部はこのことが記事になったほうがいいと思いますと洩らし、続けてこう語る。 「記事になったら、もっと告発が出てくるはずです。 やはり社会保障費をむさぼっている事実はあるわけで。 規模を大きくしようとするあまり、その認識が抜けていたことは認めざるをえない」 野田首相は税と社会保障の一体改革を唱え、消費税増税に命を賭けると表明している。 消費税増税は社会保障の充実に使われると説明しているが、DS社のような不正請求をする企業に吸い込まれていくとしたら、国民の理解は得られまい。 「俺の給料3600万だよ、たったの。 ふざけんなよ。 後援会に私費ぶっ込んでんだよ」 野田が96年に落選したときに支えたのも寒竹で、野田の秘書達の面倒も見ていた。 当人はこの疑惑にどう答えるのか。 医療グループのトップにいる人間にしてはこの御仁、いささか柄が悪い。 訪問医療を始めた理由はと聞かれ、「金を儲けたいから。 当たり前だよ。 だけど、やっているうちに、価値観がだんだん変わるんだよ。 本当に世の中のためになりたいと」と答えるが、本当はそんなに診療していないのに20分診療したことにして高い保険点数を請求していますが、と追及されると口調が変わった。 「ウチの平均診療点数は九百、全国平均よりかなり下。 現象として不正みたいなことはないと思います。 今の医療を国の基幹産業にしようとしているのに、妨害する奴らがいる。 百歩譲って、二十分を五分にしました。 それで何になるの? 俺の給料、三千六百万だよ、たったの。 ふざけんなよ。 政経倶楽部に私費をぶっ込んでるわけだよ」 野田の選挙活動にDSの社員を手伝わせたのではないかと突っ込まれて、冒頭のコメントになる。 厚労省保険局医療課は「訪問医療の場合、患者のリスクは、外来の患者に比べて高く、手間隙もかかるため、診療点数を高くしている。 あくまでもつきっきりできちんと診療をやっていただく。 その結果として二十分あったのか、なかったのか、ということです」と文春に答えている。 野田首相は文春の取材に対して、期日までに返答をしてこなかった。 消費税増税は国民の4割を超える支持を得ている。 それは後世にツケを残してはいけない、日本を破綻させてはならないという将来に対する責任感に基づくものだろうと文春は書き、こう続ける。 「しかし、その増税が真の社会保障の充実に使われることなく、社会保障予算をむさぼる組織に流れ込むとしたら、消費税増税は国民の支持を得られるはずがない。 しかも、その流れ込む先は野田首相の有力後援者なのである。 野田首相、あなたに消費税増税を行う資格はない」 この結び見事である。 田中角栄と小佐野賢治は刎頸の交わりといわれた。 だがともにスキャンダルで挫折した。 それほどの大物ではないが野田首相と寒竹の友情も、このスキャンダルでひび割れそうである。 橋下大阪市長の浮気にペナルティ妻・典子さん「別嬪で頭良くて太っ腹」の同棲時代 先週、文春がスクープした橋下徹大阪市長の下半身スキャンダルは大きな話題になった。 橋下もこれにはかなり堪えたようで、2度目の会見でも、妻に謝り続けていると語っていたが、文春は橋下が怖がる妻・典子夫人とはどんな女性なのかを「検証」している。 2人は大阪府立北野高校の同級生で、橋下はラグビー部、彼女はテニス部だった。 「典子さんは明るくて面白くて、男女を問わず人気者でした。 その場にいるだけで場の雰囲気が明るくなるんです。 (中略)学業も優秀で、神戸女学院に現役で進学。 お世辞抜きにスーパーウーマンでした」(同級生) 彼女は橋下の親友の彼女だったが、別れた後に橋下と付き合い出す。 典子が大学2年、橋下が一浪して早稲田大学1年の時で、遠距離恋愛だった。 典子の父親は大手総合商社の元幹部で、仕事の関係で幼稚園年長から小学5年までアメリカにいたため、英語はベラベラだという。 やがて彼女は早稲田界隈の古びた下宿で、橋下と半同棲生活にはいる。 風呂もトイレもない6畳一間の「神田川」の世界だった。 だが彼女はよほど優秀だったのだろう、東京との往復が続く中で留年することなく大学を卒業する。 一方の橋下は留年し、司法試験に挑戦するが、合格するのは早大卒業後の1994年秋のこと。 彼女は早稲田界隈の本屋でバイトをしては生活費を稼いで橋下を助ける。 司法試験に合格し、研修2年目に長女が生まれ、正式に結婚する。 以来、「家事も育児もやりません」という橋下の傍らで7人の子育てをし、選挙の際にはポスター貼りのお願いをするなど、内助の功を発揮してきた。 典子夫人の顔写真が載っている。 7人の子供を産んだとは思えないべっぴんさんである。 橋下が意気消沈して記者会見に臨んでいたころ、典子夫人はマンション近くの行きつけの中華料理屋で、姑と子供4人を連れて食事をしていたという。 その表情はいつもと変わらなかったそうだ。 性根の座った糟糠の妻の前で、橋下市長は何といって頭を下げているのだろうか。 見てみたいものだ。 プロフィール 1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める 現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。 編集プロデュース。 【著書】 編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか.

次の

歯科経営者に聴く 郁栄会 寒竹理事長から学ぶ|e

デンタル サポート 寒竹

デンタルサポート株式会社 所在地:千葉県千葉市、代表取締役社長:寒竹 郁夫 はグループ内に6つの歯科の医療法人 19医院 をもち、訪問歯科診療サポート事業をメインに展開しておりますが、この度、新たに医科の医療法人である、医療法人社団 誠知会 所在地:東京都大田区、理事長:渡邉 周 が加わりました。 誠知会は「ひだまりクリニック 内科 」の他に、「訪問看護ステーションひだまり」「ホームヘルプサービスひだまり」による訪問介護事業、居宅支援事業を行っており、東京都大田区の委託事業である「地域包括支援センター」の役割を担っております。 誠知会がデンタルサポートのグループ医院として協力体制を整えることにより、デンタルサポートは従来展開している歯科医療法人との連携によるサービスと介護事業に加え、医科のサービスを提供できる体制となりました。 これにより、デンタルサポートが提唱している「歯科・医科・介護をつなぐワンストップサービス」の提供が実現され、利用者様・患者様に「歯科・医科・介護」を一括した窓口で提供できる、唯一の企業となりました。 「歯科・医科・介護をつなぐワンストップサービス」 介護現場では医療連携が必要とされていますが、本当の意味での連携はなかなか難しく、それだけに「今後必須とされる課題」として検討されています。 歯が悪くなったら歯科医師を頼む、具合が悪くなったら医師に頼む、介護が必要な時は介護サービスを頼む、それらがすべて一つの窓口で済めば、それは、介護や医療を必要としている高齢者やそのご家族にとって、最も望まれるサービスを提供できることになるのではないでしょうか。 さらに、歯科医師・医師・ケアマネージャー・ヘルパーがより密接に連携を取れることから、健康管理の面でも有効に作用します。 歯科・医科・介護が一体となり、「提携」ではなく、「連携して機能する」ことが、これからの高齢社会において必要不可欠であるとデンタルサポートは考えております。 誠知会の2007年度決算は売上11億円 決算時期6月。 債務額4,300万円はデンタルサポートからの融資を受け、デンタルサポートからの経営サポートにより、2008年度~2009年度にかけ、売上倍増を目指す。 【会社概要】 名称 : デンタルサポート株式会社 本社所在地 : 千葉県千葉市美浜区中瀬1-3 幕張テクノガーデンD棟17階 代表取締役社長: 寒竹 郁夫 歯科医師・歯学博士 設立 : 平成元年4月 資本金 : 2億980万円 従業員数 : 270名 事業内容 : 訪問歯科診療サポート業務、歯科技工業務、企業向け歯科検診 セミナー・教育事業、開業支援・事務代行業、高齢者専用賃貸住宅、訪問介護 ホームページ : 訪問歯科診療サポートのリーディングカンパニーである、デンタルサポート株式会社は、19ヶ所のグループ歯科医院と、6ヶ所の提携歯科医院を持つ、医療サポート企業です。 2008年2月より歯科関連企業としては初の介護事業に参入し、ウェルライフガーデン取手 茨城県取手市 とウェルライフヴィラ成田 千葉県成田市 の運営と訪問介護サービスの提供を行っており、同10月には高齢者専用賃貸住宅「ウェルライフシリーズ」の商標権および全国に展開する運営事業者との業務委託契約権を継承しました。 歯科医師が立ち上げた医療法人を原点として、そこから発展した企業であるデンタルサポートは、株式会社でありながら「医療人」としての強い理念をもっており、医療と介護の連携の必要性を十分理解した上で、歯科・医科・介護がスムーズに連携して利用者様 患者様 の健康管理から日常生活まで全てカバーすることができるワンストップサービスの実現に積極的に取り組んでおります。

次の