あはれなり意味。 「あはれなりつること、忍びやかに奏す。」の「つる」の意味は完了...

複数の意味を持つ『いとをかし』と『いとあはれ』の意味一覧《原文/訳付き》

あはれなり意味

[名]しみじみ心に染みる感動、また、そのような感情を表す。 1 (「憐れ」とも書く)強い心の動き。 特に悲哀・哀憐の感情。 不憫 ふびん と思う気持ち。 「人々の哀れを誘った」「哀れをかける」「そぞろ哀れを催す」• 2 かわいそうな状態。 無惨な姿。 「哀れをとどめる」• 3 底知れないような趣。 ものがなしさ。 4 どうすることもできないような心の動き。 5 しみじみとした情愛・人情。 慈愛の気持ち。 現在では、多く悲哀・哀憐の感情に限定される。 1 (「憐れ」とも書く)かわいそうに思われるさま。 気の毒だ。 惨めだ。 「その姿はいかにも哀れであった」• 2 しみじみともの悲しく感じるさま。 はかなく、また、さびしく思われるさま。 「夕暮れは、なんとなく哀れに思われてしかたがない」• 3 しみじみと心を打つ風情があるさま。 趣があるさま。 4 しみじみと心に染みて愛着を感じるさま。 いとしいさま。 かわいいさま。 5 しみじみとした愛情があるさま。 優しいさま。 6 感服させられるさま。 感心だ。 殊勝だ。 7 尊く、ありがたいさま。

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天晴れ(あっぱれ)

あはれなり意味

接頭語の「もの」については「なんとなく」と訳するのが 概ねぴったりして、No. 1の答え通りですが、 接頭語の「うち」はやや複雑です。 1.意味のない「うち」もあります。 たごのうらに うちでてみれば ましろにぞ・・・・ この場合は単に「出て見れば」の事です。 2・すっかり、とか全く、という意味もあります。 ・・家はうち絶えての場合は、「全く絶えて」と訳します。 うちくたびれては、「すっかりくたびれて」とか 「くたびれ果てて」と訳します。 3・一面に、全体に、の意もあります。 霧がうちおほふは、「霧で一面におおわれ」と訳します。 4.ふとその行為が行われるとの意もあります。 うち聞いたところでは、の場合は 「ふと聞いたところでは」とか「小耳に挟んだところでは」 と訳します。 2,3は強調の意で4.は逆です。 難しいものです。 「うちかをり」は3の意味でしょう。 「一面に香り」とか 「一面に香りがたちこめ」のような訳です。 角川「古語辞典」参照 #3です。 間違えて他の質問に対する回答を投稿してしまいました。 大変失礼しました。 #1さんがほぼ完璧なご回答をされているので投稿するつもりはなかったのですが、誤投稿の謝罪ついでに(といっては失礼ですが)、補足的に述べてみます。 古語辞典を引いてみましたが、 「御子もいとあはれなる句を作り給へるを~」 「時はいとあはれなるほどなり」 などという例文があります。 同じ「あはれ」ですが、 前者は「人を【深く】感じさせる句をお作りになった~」、 後者は「時というものは【非常に】さびしさを感じさせる~」といったような意味になるのでしょう。 この2例は「いとあはれ」なので「とてもあはれ」という、「あはれ」を強調した文ですが、 これを「ものあはれ」に置き換えると、 前者は「人を【いくらか】感じさせる句をお作りになった~」、 後者は「時というものは【どことなく】さびしさを感じさせる~」といったような意味になると思います。 このように、#1さんのおっしゃる意味さえ掴んでおけば、それぞれのシチュエーションにおいて適切な訳が可能になることでしょう。 「うちかほり」の場合も同様で、「強く香る」「きつく香る」「しっかりと香る」などなど、場面に応じて色々な訳ができることになります。

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中学生の古文 「をかし(おかし)」と「あはれ」の違い|極上の受験勉強法

あはれなり意味

「つ」「ぬ」の単独用法が、設問になっている場合は、 まず「完了」と考えてよろしい。 それを「強意」と解釈させる問題は、ふつう、出せません。 設問になっていないのだったら、文脈を追わないとわからない。 その動作や状態が「完了」した事柄なのかどうかを見極めないといけないから。 だから、「この短文で識別」は「できない」というのが本当。 この短文は、「源氏物語」の、「桐壺」の一節。 「命婦」が、故桐壺更衣の実家の、母北の方のもとへ使いにやられていて、 宮中に帰参し、桐壺帝にお使いの内容を話す場面。 たった今しがた、お使いを「終えて」帰って来て、 「桐壺更衣のご実家、母北の方のご様子」が「あはれなり」って感じだったことを語っているわけだから、 「あはれなりつる」の「つる」は、「完了」で解釈するべきです。 すなわち、設問になっていれば、無条件に「完了」で良く、 設問になっていなくて文脈を追わなければならないにしても、 結局「完了」が妥当、ということです。 >現代語訳をまだ見ていない時は「胸にしみたこと」と訳していました。 それでいいのです。 訳者がここに完了の訳出をしなかったことについては、俺は適切な説明はできない。 本人じゃないからわからないし、好意的推測による弁護(?w)もちょっとしにくい。 「胸にしみ「た」ことを」と書くのが、なんか生理的に気持ち悪かったんじゃないの?いい訳じゃないよね、と思うだけです。

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