ポリティカル コレクト ネス 意味。 ポリティカル・コレクトネス

【解説】ポリティカルコレクトネス(PC)とは? 世界への影響と問題点

ポリティカル コレクト ネス 意味

2016. 21 2020. 20 恋愛 namakerie アリアナ・グランデも日本人に警鐘!ポリティカル・コレクトネスとは? 来日中の歌姫、アリアナ・グランデの言動が話題になっています。 スポンサーリンク 『スッキリ!! 』では、次のような一幕があった。 司会の加藤浩次(46)が、4月から同番組レギュラーの ハリセンボン・近藤春菜(33)の容姿が「マイケル・ムーアやシュレックに似ている」という持ちネタで、アリアナのことも笑わせようとした。 近藤の十八番ネタであるが、このやり取りを見ても アリアナは笑わない。 アリアナは「今日初めて会いしました」と返答。 シャレは通じない。 アリアナはCM中、近藤に「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てないから。 私が約束する」と声を掛けたそうだ。 近藤の素の容姿がオジサンに似ていることをネタにして笑いをとろうというのは、アリアナには通じなかったのだ。 このアリアナの行動、言動に違和感を感じた日本人は多いでしょう。 「そんなに本気にしなくてもいいじゃん」「軽い冗談でしょ。 アリアナ、 ノリ悪いな」と思いませんでしたか? スポンサーリンク パッと読むための見出し• そんな本気にしなくても…と思ったあなた、ドイツなら刑務所行きです。 日本では「人の身体的特徴を笑う」ことが普通です。 オカリナのゆいPはデブ、トレンディエンジェルの斎藤さんはハゲなど、外見の特徴を武器に笑いをとっている芸人は多いですよね。 でも、彼らが世界で同じネタをしても、どこの国の人々も笑わないでしょう。 そもそも、 法的に罰せられるので笑えません。 「身体的特徴を貶める」行為は、明らかな「差別」だからです。 例えばドイツでは、ヘイトスピーチをした者は 最低3ヶ月、最高5ヶ月の禁固刑を科されます。 身体的特徴をあざ笑うことは、これほどまでに重い罪なのです。 日本は単一民族国家です。 そのため、ほとんどの日本人は、日本人以外の人種と接する機会が少ないです。 だからこそ、 自分とは違う身体的特徴を、笑ったりバカにしたりすることに、罪の意識が低いんじゃないでしょうか。 スポンサーリンク ほとんどの日本人が、他人の身体的特徴をバカにしていいと思っている テレビを見ていると、日本で売れているお笑い芸人の多くは、 身体的特徴や性的マイノリティであることを自虐的にネタにしていることがわかります。 トレンディエンジェルは禿げていることを、メイプル超合金のナツさんは太っていること、カズレーザーさんはバイであることを。 オカリナさんは、ブスであるということを。 日本で人気のある女性芸人の渡辺直美さんは、アメリカでビヨンセのモノマネをした時、現地の人々に感心されたそうです。 日本でのように、その巨体を嘲笑されることは全くなかったのです。 ここに、日本と世界との大きな違いがあります。 他人の身体的、人種的特徴をあざ笑うのは罪です。 にもかかわらず、日本では人の身体的特徴をあざ笑うことが罪である、という感覚がありません。 日本には「 人の身体的特徴をバカにしてもいい」という空気が蔓延しています。 それは、テレビでのお笑い芸人の扱いを見ていればわかります。 「人の身体的特徴をバカにしてもいい」という空気がある、つまり、 「生まれついた特徴をあざ笑い、のけ者にされても仕方ない」と多くの人が考えているということです。 この空気感は、明らかにいじめを助長します。 若い人ほど、ポリティカルコレクトネスが必要 身体的・人種的・性的特徴を嘲笑する笑いは、罪です。 こういう笑いが普通という感覚は、 いじめを生みます。 特に今、世界中で身体的な特徴への劣等感を持つ子供達が急増しています。 若い人こそ、ポリティカルコレクトネスの意識を強くもたねばなりません。 自分がいつ身体的、人種的特徴をバカにする加害者になり、逆に被害者になるかわからないからです。 みんなが同じ、平等な立場であると思っていれば、無意味な差別やいじめは起こりません。 国連曰く、日本はポリティカル・コレクトネスの意識が低い! しかし、前にも話したように、 日本では日本人以外の人種が少ないため、身体的、人種的、性的特徴のある人を排除する風潮が強くあります。 日本も難民問題など、身体的・人種的・性的特徴がことなる人々を受け入れるようになったら本格的に議論が展開されるでしょう。 でも、この問題は一刻も早く解決されるべきです。 世界の一般的な道徳感覚から、日本は大きくずれています。 これは、国連「表現の自由」特別報告者デビッド・ケーン氏の発言からもわかります。 国会の法務委員会メンバーと会談しました。 市民団体の懸念も聞きました。 (日本では)ますますヘイトスピーチが増えていることが問題になっています。 在日コリアンへのヘイトスピーチが高まっています。 まず反人種差別法を持つべきです。 ヘイトスピーチ以前に人種差別への法律が必要です。 雇用、住居など、人種だけでなく、 とにかく差別は罰せられると法で制定するべきです。 国会の審議では、ヘイトスピーチに価値あるアプローチをしていると思いたい。 差別禁止のための教育を導入する必要があります。 政府職員がヘイトスピーチの問題を声を大にして教育していくべきです。 ヘイトスピーチ規制法は、逆利用されて被差別対象に不利益になる可能性があります。 まずは慎重に反差別法を制定し、そのなかにヘイトスピーチ対策も盛り込むが、表現の自由を制約するものでないとする必要があります。 身体的・人種的・性的特徴がことなる人々を嘲笑すること自体、わたしもあなたも、誰かにされたら嫌なことですよね。 ポリティカルコレクトネスという感覚、ニュースを見るとき、友達と話している時、少し思い出してみませんか。 「言葉狩り」とは、ポリティカルコレクトネス(身体的特徴を理由に差別されない状態)を目指す過程で、他人の身体的特徴をバカにしたい人々が 「使い慣れた言葉のほうがわかりやすくていい」など、理由をつけて使い続けようとしているのです。 ポリティカルコレクトネスは、すべての人が人として平等に生きるための考え方です。 言葉狩りとは、そういった考え方のために社会を変えようとする運動を嘲笑する言葉です。 人は言葉を交わして生きています。 だからこそ、言葉を変えれば、人々の意識も変わります。 肌色をだいだいいろと言ったり、看護婦さんを看護師さんと言うことで、身体的、人種的、性的特徴や差別を、徐々になくしていこうとしているんです。 ポリティカルコレクトネスは、世界で生きる人間として常識的な感覚です。 わたしたちは、言葉狩りという旧時代的な偏見を乗り越えねばなりません。 アリアナ・グランデは、日本の芸人が「私はデブで醜い」とアピールして笑いをとろうとする姿に眉をひそめた• 日本は「ポリティカル・コレクトネス」(身体的特徴を理由に差別してはいけないという考え方)を知らない人が多い• 身体的特徴を笑うことは、いじめの原因だ• 日本の「お笑い」は変わるべきだし、我々はポリティカル・コレクトネスについて真剣に議論すべきだ 他人の身体的特徴を笑うのは、決してやってはいけないことです。 笑うということは「自分とは違う」と嘲笑しているのであり、それはイジメにつながります。 あなたが海外に行った時、「アジア人は目が小さいね〜それで見えるの?」「そんなに低い鼻で、匂いが嗅げるの?」と笑われたらどう思うでしょうか。 「イジってくれておいしい」だなんて、心から笑えますか。 自分の子供が、周りの子供達にそうからかわれていたらどう思うでしょうか。 ポリティカル・コレクトネスは、外見を理由に差別されないための考え方です。 差別について、真剣に考えてみませんか。

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ポリティカル・コレクトネス

ポリティカル コレクト ネス 意味

ポリティカルコレクトネスについて考えてみました。 言葉の発祥には諸説ありますが、1970年代にカで始まった「」言葉や表現を使うべき、またその背後にある差別を是正しよう、という一つの社会運動です。 (「ポリコレ」という略語もありますが、本来とは異なる文脈で使われる場合も多く、ここでは「ポリティカルコレクトネス」と表記)。 日本での例として、「看護婦・看護士」という表現が「看護師」に改められた例があります。 一方、障害、障碍(がい)のように、表記について意見が分かれるものも少なくありません。 の知識、政権時代の米国中西部で4年間学んだ経験をもとに書きます。 また、表現の事例紹介を目的として使われている単語や表現(黒人、Blackなど)があります。 もともと「正確さ」よりも「論争回避」が目的 ポリティカルコレクトネスの思想の背景には、 多民族、多宗教である社会での論争回避 があります。 正確に表現すること自体の優先順位は相対的に低いといえるでしょう。 わかりやすい例は、皮膚の色が濃い「黒人」の方を表すblackという表現。 人種差別的な意味合いがあるため、米国に住む「黒人」の方については、African AmericanもしくはAfro Americanと言い換えることが多いです。 しかし、Black(黒人)というカテゴリーに入る方の中にも、アフリカからなどに奴隷として移り、その後カに定住した方がいます。 さらに、African (もしくはAfro) Americanという言葉が示すアフリカとのつながりを感じていない方もあります。 そのため、Caribbean American(カリブ系カ人)など、人種を表す詳細な表現も存在し、使い分けられているのが現状といえるでしょう。 それでもBlackという表現を避ける理由としては、正確さを一旦置いておき、論争を避けることです。 さらに、Blackという表現に誇りを持ち、あえて使う場合も少なくありません。 さらに、Black Lives Matter BLM 運動(「黒人」青年が白人警官に射殺された事件等を契機に始まった、人種差別撤廃を求める社会運動) など、Blackという表現は一つのを持つ用語として、今も使われています。 African Americanという表現では、この運動の本質を説明できません。 また、人種差別撤廃を求める運動のため、ポリティカルコレクトネスの理由である論争回避という動きとも連動しないのでしょう。 まとめると、ポリティカルコレクトネスを理由にBlackという表現は避けられる傾向があるものの、ケースバイケースです。 他地域については何卒ご教示ください) 用語未確立の分野のポリティカルコレクトネス 結論から書くと、ポリティカルコレクトネスを押し付けることはできず、時流を映し出す言語そのものの性質を考えても、言葉の選び方は使い手に任せられています。 マイノリティなどを攻撃することが明らかな主目的である、には個人的に反対です。 しかし、Blackという表現のように、多くの場合はグレーゾーンに当てはまります。 この表現を、誰に向けて、どう使うか という判断は容易ではなく、一様に「かくあるべし」とするには疑問を抱きます。 そもそも、正確かつ論争を免れる表現はまずないと考えます。 センシティブな内容ほど適切な表現が見つからず、 「何も言えない、書けない」 事態も起こります。 対話も、意見発出も、問題提起できない状況は、民主的でありうるのか。 この表現は使ってはいけない と定義する際は、慎重な判断とプロセスが求められます。 一歩間違うと、表現の背景にある文化、宗教、信条の押し付けにもなりかねません。 ポリティカルコレクトネスは社会運動を起源に持ち、差別をなくそうという意図がある場合も多いため、正解は一つではないと考えます。 さらに、言葉は時代とともに移り変わる性質があります。 後述するMerry Christmasのように、一度定着した表現を変えるには、それなりの時間と使い手の理解が必要ではないでしょうか。 用語の一般化、法律の制定による使用義務付けなど、長ければ数十年を必要とするでしょう。 それまでは、ある程度言葉の使い手に判断を任せる他なく、論争は続くのが自然なのかもしれません。 風刺画の表現が行きすぎか否か、宗教批判は許されるのか、という議論が白熱し、報道、とは何かを鋭く問う事件でした。 特に宗教的な意見の相違や対立は、正解も、速やかな和解もないでしょう。 反感情によるヘイト横行は人権侵害である一方、宗教批判が許されないとしたら、それは果たして「自由」といえるのか、という論点もありました。 日本のインターネットでの「炎上」とは比較にならない、根深い対立やポリティクスがそこにはあります。 近年上記のような宗教対立や人種問題が表面化しにくかった日本で、ポリティカルコレクトネスを論じるのは難しい作業です。 しかし、今後移民やが増えるにしたがって、避けられない問題になるのでは、と考えます。 Merry Christmasは使えない?米国での出来事 2000年代に中西部に住んでいた頃の話です。 のクリスマスを祝うMerry Christmas をHappy Holidays(他宗教の祝日も共に祝う)に言い換える動きがありました。 大統領も2000年代前半からクリスマスの時期の挨拶をHappy Holidaysを使っています。 私はクリスチャンではないので、挨拶で使うのは後者。 しかし、当時おつきあいのあった地元の夫婦(クリスチャン)にHappy Holidaysと声をかけると、良い顔をしませんでした。 これまでずっとMerry Christmasだったのに、そこまで気にすることだろうか? そんな感情がが見え隠れしました。 町にあるChristmas treeをCommunity treeと言い換える、そんな地域も出てきた頃です。 「そこまで気にするのか?これまでの良き伝統はどうなる?」 彼らが間違っているわけではありません。 また、誰かが無理に彼らの挨拶の言葉を変えさせることもできない。 今もきっとHappy Holidaysという表現を使っていないでしょう。 自らを振り返ると、ニュース番組やドラマなど、全米ネットワークや、西海岸のドラマを、無意識のうちによく目にしていたことに気づきました。 地元の人の話す英語と標準的とされる英語は、アクセントも、使われる表現も違います。 そして、言葉の背後に流れる思想も違いました。 大学教授はリベラルな方は多かったおですが、地元の方の約9割は保守派です。 地元の方たちは、自分たちの伝統、習慣と、都市部の多様性尊重の流れとは別物、と考えていたようです。 カとポリティカルコレクトネスの一面を垣間見る出来事でした。 言葉だけを変えればよいのか 差別的な表現をしないこと自体は、常に心がけたいものです。 社会運動としてのポリティカルコレクトネスには意味があった、特に差別的表現を時代とともになくすこと自体には価値があると考えます。 一方で、 表現を変えること自体が目的になっていないだろうか 表現しようとする人の口を塞ぐようなことをしていないか と常に問う必要もあります。 ポリティカルコレクトネスの短期的な目的は、論争回避です。 しかし、終着点は単に表現を変えることではなく、社会のあり方を変えることではないでしょうか。 言葉や表現を変えることは、目的ではなく手段である。 以上、安易に「ポリコレ」と述べることも、「この言い方はしてはいけない」という方向に進むことも避けたいという気持ちで書かせていただきました。 正解のない話で、「この言葉は使ってほしくない」と個人的に思う表現もあります。 差別的な表現は減らしたいとも考えます。 それでも、社会のあり方を反映した結果、言葉が使われ続けるという認識は忘れたくなありません。 takedaayaka.

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ポリティカル・コレクトネス

ポリティカル コレクト ネス 意味

職業などを言い表す時に性差や偏見を防ぐために、言葉を中立的なものに置き換える運動です。 political correctness 日本語でも「看護婦・保母」と書くと女性のイメージが強くなるので、「看護師・保育士」といった性差のない言葉に言い換えられています。 英語でも「firefighter」もかつては「fireman(firewoman)」のように言われていました。 例をあげたら無数に出てきますが、一例を紹介すると以下のような言葉です。 本当に浸透しているのか? ポリティカル・コレクトネスの趣旨はわかりますが「実際に使われているのか?」となると少し別問題です。 一部では言葉狩りといった批判や過剰反応といった意見も聞かれますが、このあたりどこまで置き換えが浸透しているのか確認してみました。 カナダ人のスティーブ、いちネイティブスピーカーの感覚的な意見という前提がありますが以下のような印象を受けるようです。 特にポリティカル・コレクトネス(PT)の話になるとあげられる代表的な言葉です。 copもありますが「ポリ、サツ、マッポ」みたいなカジュアルな言い方なので、警察官が聞いたらたぶん怒る種類の表現です。 反対にお店が従業員に対して「server」と呼ぶケースが増えてきています。 日本ではウエイター、ウエイトレスという言葉はまだまだ根強いし、使う側もさほど意識していないようですね。 他にも「cabin crew(キャビン・クルー)」などの表現もあり、これは各航空会社などによっても違います。 ウィキペディアで「cabin attendant(キャビン・アテンダント)」は和製英語だと紹介されていますが、上の2つほどではないものの、英語圏でも使われていました。 日本語では「客室乗務員」と呼ばれますが、そう聞くと飛行機は客室だったんだと気付かされますね。 postal worker, mail carrier, letter carrierなどが好まれ、一般的になっています。 メイル・ウーマンって奇妙な響きですね。 actress 最近は男女ともにactorに統一されつつありますが、まだ使われている言葉です。 fisherman 漁師を意味する言葉で、古くさい感じもするけどまだまだ使われている言葉です。 逆に性差をなくした「fisher」を使っている人のほうが少ない印象。 プロレス技の「フィッシャーマン・スープレックス」もゆくゆくはなくなっていく名称なのでしょうか。 おそらく時代と共に浸透具合も変わり、この記事を公開したタイミングからもどんどん変化していくものだとは思いますので、あらかじめご了承ください。 記事カテゴリー• 1,372• 131• 113•

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